少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2670 五輪で泣く国民

8/6-16

広島関連のニュースを見ようと思い、テレビつけたらリオの開会式。

演出、予想外にお見事、面白かったです。
元スポーツ新聞記者ですが、五輪に全く興味ありません。
アスリートの純真かつ真面目な努力に反して、選考会を始め運営陣の政治、金銭、私欲、利権の腹黒さに反吐が出るからです。

それを助長する開催国政府、スポーツマスコミ。表向きの「批判姿勢」とウラの「協力体制」。

闇の事実を報道しない権力主義。

真の報道、正義公平の報道なら艶やかな入場式の外の反対運動を放映せよ。

協賛スポンサーもクロに染まる。

日本人もいい加減バカじゃなかろう。

新国立競技場問題。神宮球場秩父宮ラグビー場、霞丘団地等破壊、パクリエンブレム、築地移転、舛添高額出張、使途不明裏金送金の報道停止、マラソン選考会複数の金欲理由。

国民主体とうたいつつ、実は、ごくごく一部の利権屋のための五輪。

後に必ずや来る、未来数十年に必ずや続く、夢の跡の尻拭い負債を背をわされる、我々&今後、生まれ来る世代への確実なる負の遺産よ。

ペンの力ではどうにもならない強欲暗黒世界に、興味をもつ気には到底なれない。
純真なアスリートを手のひらで弄ぶ、強欲利権者どもに、間接的にも迎合出来ない。
派手やかなる選手入場を見るにつけ、その裏側の国力の格差を憂う。

まさに経済品評会。

本来のアテネ五輪オリンピアから、かけ離れ過ぎた思想。五輪の陰で泣く国民がいる。
略奪しか生きる術がない人々。ある日突然、生命、財産が略奪される被害者。五輪を隠れ蓑とした裏側で、個人的な犠牲者、あるいは国家的な経済戦争&侵略戦争のシナリオがしたためられている事実を、賢明な人なら気付いているでしょう。

東京五輪、今からでも返納できんものか?日本には、五輪より先に、東北地方の復興という優先順位がある。

2669 鬼畜米国

8/6-16

アメリカが好きですか? 嫌いですか?
「はい、私は大嫌いです!」
こんな偽善、ペテン、腹黒国家は地球上他にありません。

ある意味、中韓北以下でしょう。

弱った人を助けるふりして私欲を肥やす、私には、そんなイメージに映ります。
中韓北は「我々は日本の敵です」と正直に意思を表示して接触してくるからマシ。

アメリカは「我々は日本のトモダチです」と言いながら日本を侮り、日本からの搾取を過去も現在も繰り返す。本当に許せん国だ。

テロは論外としても、アラブ地域の人々のアメリカに対する敵対感情は、私には十分理解できます。71年前の今日と8/9を「無かったこと」には永遠にできません。
原爆を作った街、ロスアラモスでは、「原爆は人々の命を救い、世界を平和にした」と称賛されているそうです。

記念館では広島、長崎の原爆デザイングッズが飛ぶように売れているそうです。
広島、長崎、実質40万人以上の被曝死傷者の方々の痛み、苦しみ、悲しみ、夢、希望、絆、全てを根こそぎ奪い去った事実を、商売道具とする発想、それを許可する思想、それを喜んで買う無知。

国家、教育、思想を超え、人間としての資質の皆無を改めて痛烈に感じます。

2668 8/5-16行動派日記

8/5-16

たどり着いたら、連れ込み宿。下落合のラブホ、男2人。

早朝7時、部屋にてオサーン7人でビジネスミーティング。8:20から20分朝食&シャワー。

タクシーにて10:00〜12:00 埼玉戸田総合病院。 タクシーにて13:00 表参道ヒルズクリニック。

原宿アニバーサリーにて昼食30分。 タクシーにて 15:00 駿河台日大病院。

タクシーにて16:00 銀座健康院。

徒歩にて銀座三原橋「よしの」にてサッポロラガービール&枝豆4500円。

タクシーにて築地、寿司懐石・さいしゅんにて鮨 4万2800円男2人。

タクシーにて新橋 21:00 椿屋珈琲店 3600円 男3人。

国鉄山手線にて新橋〜高田馬場西武新宿線に乗り換えて下落合。

おばあさん2人の居酒屋・松林坊にてサッポロ黒ラベル&冷やしトマト2350円 男2人。

たどり着いたら午前0:33 男2人 帰宿。

中国人宿泊用に手直しした元連れ込み宿、男2人相部屋にて、ア然ボー然の1泊4万9800円。

まあ、クライアントさんが出してくれるにせよ、熱海でも湯河原でも、この金額なら、豪華夕食と温泉三昧できるお値段。

これから連れ込みジャグジー風呂にひとりで入浴。

私はまだ女性好き、モーホーさんではない。

 

追記

8/5-15

14日ぶりに帰国しました。
中国、香港、マカオでした。
Facebook、ぜんぜん繋がらず、いただいたメッセージ、まだ目を通しておりません。

返信、いましばらくお待ちください。

2667 松崎尚夫先生逝く

8/5-17

ipadのタッチパネルを押す指が進まないのはビジネス疲労のせいではない。心が重い。尚夫先生が死んじまった。

「誕生日、越すことができるのかなぁ」
尚夫先生は、虚ろに、聞き取れない声で唇を動かした。
昭和10年6月30日、尚夫は北朝鮮で生まれた。
「誕生日?」

「誕生日って、私はてっきり来年の誕生日のことだと思っていたのよ」電話口の寛子夫人の声は涙だった。
尚夫の越せない誕生日が、まさか今年の6月30日だったとは。

肺を患い緊急入院されたのが6月の初旬。でも、亡くなるとかいうレベルではなかった。

電話口の寛子さんが悔やむ。本当に悔やむ。
医師からは6月12日に退院の許可がおりていた。

しかし当日、尚夫先生の容態は悪化、歩ける状態ではなかった。
そして、医師はこう言った。
「もうやることがないんで」
これ以上治療しても無駄だから帰ってくれ、との旨。

安藤自身も先に入院した中野警察病院で同じことを言われた。
先生や奥さんの気持ちが痛いほどわかる。

いや、本当に痛くて歩けない患者に対して30日を越えたという理由でカエレと。
奥さんの懇願で退院を翌日13日に変更してもらった。安城市で一番大きな市民病院だ。

電話口の奥さんは「悔しい」と私に泣いた。
12日は元気ではないが、翌日に呼吸が止まる様子は微塵もなかった。

ところが先生は深夜に苦しんだそうだ。
「でも、私にはぜんぜん連絡がなかったんです」
翌日午前、看護師から電話がはいる。

「容態が悪いので奥様、来てください」 ただ、緊急ではなかったそうだ。
そして昼食中の奥さんに緊急の電話が入る。

「私が駆けつけた時には、もう虫の息だったんです。意識もなくて。

なんで、夜、付き添ってあげなかったんだろう・・・ってね」

病院という特殊な空間は人間の死という行為がまるで流れ作業のコンベアーのような状態にあり、医師も看護師も、身内以外の第3の死に対して感情を入れる隙間がないことは、私は理解できるが、普通の人には普通に理解できない。ましてや先生は80過ぎ、深夜に苦しんだとて、看護師が家族を呼ぶか呼ばないかは微妙、現場に居ない人間が裁定を下せない。

人間の死に鈍感になる。職業病だと、私は思う。

義務教育12年間で多くの教師と出逢った。馬鹿はいたけど悪党はいなかった。

尚夫先生は、あんまき高校でお世話になった。英語教師であり、担任。

西尾高校、岡崎高校と、愛知県内でも有数の進学校を歴任してのあんまき高校、さぞや教え甲斐があったことと思う。増してや、よくぞこれだけ劣等生を寄せ集めたという3年8組赤点クラス。
忘れもしない高3一学期の終業式。真っ青な顏した尚夫先生、気絶寸前、立つのがやっと。
「先生、どうした?顔色悪い、大丈夫か?」誰かが声をかけた。
「大丈夫じゃない、俺も長いこと教師やってきたけど、こんなクラスははじめてだ」
「先生、どうした?」誰かが声をかける。
「このクラスだけで、赤点が64個もある」と先生。

私は怒りに震え立ち上がった!
「誰だ、そんなバカ野郎は!」
「お前だよ、安藤」
「え、俺?すか?」
「安藤だけで8個。あと服部、岡田、吉田、太田、植村、稲川、野畑、近藤、高木・・・お前ら全員、夏休みないからな」

俺たちは日本の義務教育の反逆者を気取っていた。

尚夫先生の寛容は、我々の卒業アルバムに集約されている。
日本の義務教育において、あり得ない前衛的な作品に仕上がった。

しかし、これを石頭の文部省が認めることはない。サザンオールスターズNHKで放送禁止になったようなもんだが、放送禁止用語、R18指定、差別用語表現の自由を青天井で表現したため、発禁処分。

「お前らなあ、こんなもんが通るわけないだろう」
松崎検閲官に5度の提出5度の修正。最後は意地と意地のぶつかり合い。

我々の卒アの空白は、全て放送禁止用語を修正液で消された部分。

原本を月刊宝島に持ち込めば、今でも話題になるだろう。

尚夫先生の生い立ちを少し書く。
発電技師の父の仕事で北朝鮮で生まれる。
昭和20年、太平洋戦争勃発で、裕福な生活は逆転。賊軍とされ朝鮮人により、家財は略奪、男は撲殺、父親は軍隊に採られ、母親と姉、2人の妹と逃亡生活を強いられる。尚夫10歳、小学四年生。

米クズやパンクズを拾う生活。空腹のあまり腐ったサンマをナマで食い三日三晩のたうち回った経験もある。
逃亡中の倉庫で母親が過労と栄養失調で死す。享年38歳。
「目の前で母親の死を見てもなんの感情もなかった。母親の亡骸を戸板の上のポンと乗せ、その上にむしろを掛けて、大人が4人でトラックに乗せ、そのトラックには他の人の死体も乗っていてスーといっちゃてねぇ、哀しいとか寂しいとか、これからどうしようとか、そんな感覚すらなかったんだよ」

「生きる」という生物の本能だけが存在し、それ以外の感情という贅沢な余裕はなかったのだ。

幼い4人の兄弟姉妹は知らない大人たちに混ざり寝る。尚夫に添い寝してくれた見知らぬご夫人は、朝が来ると、すでに冷たくなっていた。知らない死体と一夜を共にしたこともある。

とにかく、朝鮮兵とロシア兵から逃げなくては。
唯一の大人である母親を失った幼い子たちは、裸足で山を越えた。

一番下の妹は4歳の誕生日を迎えたばかり。裸足で道無き道を行く姿、想像できますか?
38度線を目指し東へ東へ。

この物語、果てしなく長くなるので、続きが読みたい方は、無償でパンフを送付いたします。

今年の6月30日、先生に誕生祝いの電話を入れようと、ふと時計を見た時には8時を回っていたので遠慮した。その数日後、AKB48オタクの糸屋さんの招きで仙台に行ったときも、ふと先生のことが気になり電話しようとしたけど、やはり夕食の時間と重なり遠慮した。

数日後、この「あたしのショー夫」のパンフ作成に尽力してくれたクマちゃんから、よく考えたらとても貴重な経験なので、尚夫先生の話が聞きたいとのリクエストがあり、近いうちに先生にアポを取ろうと思っていた。直接の教え子でない人からも、話が聞きたいとは、先生もさぞ喜ばれることだろう。

もう、できないが。

最後に高3、12月、職員室の思い出を書く。
「お前、どうすんの?」
「あ、僕は一応、早稲田を受験しようと思います。トーダイはムリなんで」
「あのさ、早稲田を受験するのはチミの自由だけど、そも前に卒業どうすんの?」
「は?」
「いや、このまんまじゃ卒業できないよってね。もしもチミが早稲田に合格したら俺は裸で逆立ちして町中を歩いてやる」

あの時の尚夫の目は本気だった。
しかし、私にも勝算があった。なんせ、早稲田の商学部マークシート方式だ。

鉛筆の転がり具合で合格もある。

しかし、ここが私の優しさでもある。
恩師に恥をかかせるわけにはいかない。わざと全部、落ちてやったということにしておこうじゃないか、先生。

先生は裸逆立ちの約束をもう実現できない。

これで私も心置き無くまた、早稲田を狙えるというもの。死なない限りチャンスはある。

実は授業料を貯めていたけど、事業につぎ込み文無しになってしまった。

も一度、最初から立て直す。

FBFの皆様、長文にお付き合いいただき、ありがとうございました。

PS あんまき高校諸君、弔問日程はメッセにて。

2666 毒リンゴ不倫

8/4-17

おはようございます。
疲労でアタマが回らないので、加計、籠池クラスの寒い芸能不倫ネタです。

斉藤由貴というタレントを、私はよく知りません。
が、その昔に知人が赤坂の某ホテルに勤務中、かの尾崎豊がそのホテルに、斉藤由貴さんお連れ込み、一線越え真っ最中の折に、尾崎さまの奥様血相を変え、ご乱入。
フロントで時間稼ぎしてる一瞬の虚をつき、知人は最中の斉藤さんを隣室に移し、秒殺でベットメイキングという神技を披露。事なきを得たとのこと。

モルモンだろうが、カソリックだろうが、イスラムだろうが、仏教だろうが、みなさま修行中。

空腹時、目の前にリンゴがあれば食らうだろう。

毒リンゴほど甘いらしい。

2665 8/3-17行動派日記

8/4-17

中国組帰国。過酷な4days。
全員フルコミは承知の上の個人事業主、粋がるただの一匹狼の衆。
成約なければ、単なる骨折り、経費だけでも公表できない大金、住宅ローンくらい完済できた、事実上破綻の域。

それでも互いを信頼して掘り続けるしかない、生か死か。
元気出せ、メシを喰え、と旧知の奢り冷やし中華

我が窮地を知らない、少数派日記の愛読者さまから、突然の電話、支援金10万円の申し出。

本当にありがたい、神様としか言いようがない。

本日カラボロ、カラキツにてビタミン注射2本も効かず。

2664 8/2-17行動派日記

8/2-17

単なる行動派日記です。特に意味ありません。

火曜日、11:00〜18:00、原宿で4案件、6人の初対面の方と述べ9名の方と打ち合わせ。

著名な美人医療ジャーナリストさんも。ランチのカレー、コーヒー飲みすぎ。
夜、表参道「塚田牧場」にて2時間の食事。

21:00より〜23:00まで別案件でミーティング。
水曜日、11:00〜13:00、新宿で打ち合わせ。ランチは魚河岸日本一立ち食い寿司。

14:00、中野、ドバイ、カタールの医療事業の打ち合わせ。

16:00、五反田、NY、ベトナム、香港の医療事業の打ち合わせ。

17:30、新宿、昨日の原宿の続き、中国の医療事業打ち合わせ。

19:00、新宿「さくら水産」安酒にて、香港のサプリメントビジネス打ち合わせ。
電話にてフィリピンの医療事業の打ち合わせ。

一見、すごいグローバルに見えるでしょ! でも、ホント。
これでいいのだ!