少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4787 ラグビーマガジンお宝

8/15/18

実家にてお宝発掘。2番目の写真はマガジンに挟んであった珍写真。この写真は蹴るポーズですな、背番号4番だからまだ2年、試合後、先輩にボコられたでしょう。右のデカい人は、僕のよく知っている方。そうですね、相澤さんが久我山の3年だから私は2年、まさか一緒に盃交わせるとは!

f:id:chamy-bonny:20190815233441j:image

4786 パソコン印刷の壁

8/14/18

実家安城の私が使わせて頂いてる部屋からの夕暮れ雨雲。
おっかさんとは性格が違うので、本当に気を使います。

居心地は悪いのですが、冷房が効いているので離れ難いのが実情です。
過日、パソコン印刷の件で皆さまにご迷惑をおかけしましたが、ようやく、露村に大学生のアニキがバイトで入り、なんとかなりました。

しかし、山本さん、岡田さん、村田さん、クマちゃんのやり方ではなく、アニキ曰く、変則的なやり方ですが、ページスを一度、写真に撮って、それをプリントアウトです。

写真が出てくるかと思いきや、一応コピーでしたが、やはり安城でパソコンはムリみたいです。

f:id:chamy-bonny:20190814232938j:image

4785 人類誕生と人種差別

8/14/17

バージニア州の白人至上主義衝突事件。
つまり人種差別。

中日新聞の一面コラム「中日春秋」にジョン・デンバーカントリーロードウェストバージニアを引合いに出し、強烈に幼稚なトランプ批判。も少しプロらしい文章が書けないものかね。

苦情はともかく、深刻な問題、人類の争いの歴史。

文部省の教科書によれば人種差別、宗教的な争いは出エジプトの頃からだが、人類誕生とほぼ同時に争いは始まったと想像される。

終わらない、人類の差別と争い。
それは例えば、地球に与えられた夏休みの宿題。

人種差別、宗教戦争侵略戦争格差社会、いじめ、パワハラ
遠い世界ではなく、すべてが我々の日常に存在していると思いませんか?

神が人類を創造したのか?あるいは宇宙が人類を創造したのか?いずれにせよ生物が食欲を筆頭とする煩悩を持つ以上、争いは避けられない仕組み。ビジネスも学業も生きることさえ生存競争と言う名の戦争。

尾崎豊が言うように「互いに優しさを持ち寄り」レノンが諭すように「すべての人々が(平和を)想像し」清志郎さんが叫ぶように「原発を廃止」すれば、ほんのすこしはまともになるかも知れない。

戦争体験世代が世を去る。
戦争を知らない子供たち」世代が老い、馬鹿と同じように歩きスマホでゲームに夢中になる50代、60代、70代たちは、悲劇のバトンを次世代に語り継ぐ使命を忘れてはならない。

野田聖子よ、日本国の大臣なら明日は靖国神社に国民を代表して参拝しなさい。その上で総務大臣としての任務を果たしなさい。
今、間違いなく国家の危機。
地球の危機。

4784 東邦高校の思い出

8/14/16

東邦高校凄いな、2-9で負けた・・・と思って、8回くらいから、これ、書き始めたら、逆転サヨナラとはね。あんなに得点差があったのに、全員笑顔のベンチ。なんかあるな、とは思ったけどまさかね。

ここからは、試合中に書いたものです。今日のゲームとは関係ありません。私的の思い出話です。高校野球に興味のある方、およびお暇な方、限定です

愛知190校代表の東邦高校。たぶん、ここへ来るまで、他県より2試合分は多く戦っている。
39年前、夏の甲子園東邦高校バンビ坂本投手、当時1年生。ナマで見ましたよ。愛知大会の準決勝と、決勝。熱田球場で。私も当事者、もっとも、我があんまき高校は県予選初戦敗退。当方二塁打で、新聞に小さく名前のみ出るも、その程度。
しかし、安北中同期は野球エリート。大府高・酒井稔(→中京大で1、2年の2年間だけで27勝は記録。体育会上下関係が嫌で2年で退部)、名電高・内藤真始(→国鉄名古屋、10年以上は補強選手として社会人野球に出場)、山田英夫(→軟式野球の全国大会常連の小林記録紙へ) 。この3名は全員、ドラゴンズからドラフト外指名受けました。
で、大府と名電が、別ブロックで勝ち上がって来たので、どっちに転んでも、この夏はアルプススタンドで応援だな、と決めつけていました。
で、準決勝の大府戦で、東邦が1年生の坂本。「誰や、あの一年坊主? 3ヶ月前は中坊やで」みたいな軽口を叩きながらスタンド観戦。大府・酒井が味方のエラーでまさかの敗退。
翌日の決勝は名電。投手は読売から4位指名の鈴木伸良。1年坊主が相手では楽勝。当日は大府の酒井稔と一緒に観戦。酒井も坂本から2安打して「大したことない」というので安心してみていたら、結構な大差で名電の負け。俺たちの夏はジ・エンド。東邦には一人行ったけど、途中で辞めた。酒井自身も東邦の推薦が決まっていたけど、公立に合格したので、大府を選択。

結局、その夏。1年生坂本は甲子園でバンビとなり、奇跡の決勝進出。東洋大姫路に敗れたものの、凄い。
その年のセンバツで名電は初戦で箕島に0-1で敗れるも、箕島が優勝。ということは、やはり名電は強かった。
というわけで、ちなみに、箕島・上川誠二(中日→ロッテ)と、東洋大姫路宮本賢治(亜大→ヤクルト)は同期、東中で担当させていただきました。

f:id:chamy-bonny:20190814232518j:image

4783 中居クンの独り酒

8/14/16

人気も仕事も地位も財産もふんだんにあり、まだまだ若さもあるのに、無いものは・・・。
元リーダーは週に何度かは自宅で独り焼酎の晩酌、アテはコンビニ食材に手を加えたもの。

テレビ用のネタかも知れないけど自告なので、嘘ではなかろう。

私をはじめ、同じ境遇にある輩には好感度高い。
溜池公園、泥酔全裸正座くんは、あの事件以来、急に親近感を抱き、私的に好感度抜群。

「みんなで、せーので脱走しようぜ」つったのに、一人だけ抜け駆けて事前に看守に脱走計画をバラす。

そらアカンw〜。
仕事が無くてピ〜ピ〜なら、オトコを殺して我慢もするけど、裏切り者と笑顔でオシゴトは、自分も性に合わない、ケツ捲りに異存なし。曲がったことは大嫌い、身も心も亀有公園前のお巡りさんになった両津さんにエールを贈りたい。
どんなに干されても、裏切り者以外の4名様は、私は理解いたしますので、ご安心ください。

4782 笹塚大國家

8/14/14

一年に一度か二度だけ、ひとりでふらりと居酒屋に入ります。
日高屋で、390円の中華ソバか520円の中華丼を食べようと、ふらり出た夕方。電気スタンドの蛍光灯が切れたので、立ち寄った電気屋の街頭テレビで甲子園にはまり、立ち見すること一時間。山形中央の9回逆転勝ちに、なんとなく嬉しい気分。
笹塚駅改札から徒歩3秒の、老舗居酒屋「大國家」さん。
笹塚に来て、18年間経ちますが、18年間、ずっと気になっていた店。
基本、酒好きではないので、入る理由がなく18年間。
死んだ親父が好きだったくさやの干物があるということで、さっそく、くさやの干物1000円を注文。
ひとりだと、ビール大瓶飲むのに一時間はかかる、というか、飲み切れません。
話し相手がいれば日本酒なら二升、バーボンならストレートで一本は飲みますけど、基本、酒は飲みません。
何より辛いのが、他の客の関節喫煙。タバコはNGなので、喫煙者とは、基本、飲みません。
結局、ビール一本飲めず、そろそろ引き上げます。

f:id:chamy-bonny:20190814232155j:image

4781 松崎先生追悼記

8/13/17

あと一分、あと一秒でも長く一緒にいたかった。
もう少しだけこの世で手をたずさえて生きていたかった。
それが今の私の正直な気持ちです。

お別れの会で、近親者に配られたお礼の書を寛子夫人から、いただきました。

松崎尚夫先生 追悼記4。

6月13日。その日が松崎先生の退院予定日でした。
軽い昼食を済ませた早い午後、寛子夫人は予定通り、二時に先生を迎えに行くために車を走らせました。しかし、病院からは「急いでください」とだだならぬ緊急の電話が・・・。

「まさかそんな」
常識ではあり得ない。一日前の今ごろは、夫妻は普通に話をしていた。帰宅してからの生活の準備。介護用品も全て準備して、あとは先生の帰宅を待つだけだった。

「でもね、主人は私を待っていてくれたんです。『もう意識ないです』って先生(医者)に言われたんですけどね。私、大きな声で主人の名前を呼んだんです。そしたらね、目を開けてくれたんですよ。もう、瞳孔はね、よくわからないんですけど、そう、焦点は合っていなかったと思うんですけど、一生懸命ね、私のことを探すように・・・」
でも、松崎先生はまた瞼を閉じた。
「お父さん、いかん。もっと生きるって言ったじゃない・・・私、そう言ったんです。そしたらね、また、目を開けてくれたんです」と寛子夫人。

先生を訪ねた七人の野郎ども、知立高校の教え子たちも鼻をすすった。

「私ね、見たんです、最後にね。医者がね、もう意識ないっていう人が、なんで瞼開けれるのかなぁって。しかも二回、瞼を開いてくれたんです。だからね、私はね、戻って来てくれるもんだと思って、一生懸命、名前呼んだんです。そしたらね、本当にまた、瞼を開けてくれたんです。でもね、その時はね、前の二回と違ってね、ああ、これで終わりなんだなぁて気がしたんです。そしてね、最終的に瞼を閉じるんですけどね、今までとまるで違うんです。ゆぅくり、ゆぅくり、この世を惜しむかのように、ゆぅくりと、まるでね、舞台の緞帳が降りるように、ゆぅくりと。あんな瞼の閉じ方、人間できませんよ。本当にゆぅくりと、ゆぅくりと・・・」

私は真似をしてみた。本当に出来ない。日常生活で、意識して瞼を閉じる行為はない。先生は瞼を閉じたくなかったのだろう。
一分でも一秒でも長く、先生もまた寛子夫人と手をたずさえて生きていたかったに違いない。

熟年離婚、不倫、家庭内ホームレス・・・
家庭という惑星が不協和音に軋(きし)むのはワイドショーの芸能人ばかりではない。彼らは単なる一般世間の代表者。

今際の際で、「あと一分一秒でも一緒にいたい」という夫婦は、私の中で、それはドラマの中だけのおとぎ話の世界だと決めつけていた、恥ずかしい。

心をみがいておけ

松崎先生の遺言。
心をみがき続けた人の答えがそこにあった。

この季節にみかん。
帰り際に寛子夫人から、それぞれに二個ずつ配られた。
特に誰も言われを聞かなかった。

松崎先生の実家は渥美半島田原町、みかんの産地。
松崎先生からの真夏の甘味の贈り物。
戦時中、パン屑を拾い集めて空腹を凌いだ先生の命のみかん。吉田ゴリラーマンよ、心して食したまえ。

f:id:chamy-bonny:20190813233621j:image

f:id:chamy-bonny:20190813233635j:imagef:id:chamy-bonny:20190813233652j:image