少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

074  祝・ロッテ西村徳文監督誕生

塁間わずか27.431メートルの中に、しのぎを削り合う孤独な走者たちの熾烈な闘いがある。一塁から二塁へ、二塁から三塁へ、鋭い刃でつくられた糸のように細いタイトロープの上を裸足で走る。走者たちがスタートを切るたびに目には映らない鮮血が血色の道をつくり、コンマ以下の瞬間との間(はざま)に命を削っている。盗るか刺されるか、ほんのわずかな心の迷い、心の焦りが走者の下半身を微妙に硬直させ、スタートを鈍らせる。スピード、タイミング、テクニックを競うスリリングな闘いの裏にはそんな心理ゲームが隠されている。
ロッテ・オリオンズ外野手西村徳文は、現在パ・リーグで最も多くの塁を盗る男である。しかし、その名はまだ全国区ではない。
今から19年前、1990年金沢のタウン誌「CLUB」に私が連載した「ネバーギブアップ物語」の書き出しの引用です。
千葉ロッテの新監督に八木沢壮六監督以来、16年ぶりとなる生え抜き監督が誕生しました。西村徳文49歳。35年の早生まれなので学年は私と同期です。86〜89年まで4年連続で盗塁王。私が記事を書いた90年には打率・338で阪急の松永浩美選手との接戦をものにして首位打者に輝きました。
ロッテファン以外で西村新監督の現役時代を知る人は非常にコアな方だと思います。82年にドラフト5位入団。当時ではスポーツ新聞に名前くらいしか載らない無名中の無名。ただでさえ、記事にならなかった不人気球団のロッテですから、それも仕方ありません。
Gの原さんやYの高田さん、Lの渡辺さんら鳴り物入りでプロ入りしたサラブレッド監督は確かに花があります。しかし、テスト入団のE野村監督や、ドラフト外入団のH秋山監督のような苦労人が私は大好きです。同様に西村さんも1度の首位打者、4度の盗塁王の実力派ですが、知名度という面ではマイナーで、バレンタイン前監督に巨額を投じ過ぎた煽りの節約人事かな、とも感じます。その分、西村監督には新戦力の補強など球団からの締め付けが厳しいかとも思います。しかしロッテ一筋27年という経験は、ロッテファンにとっては大きな期待となるでしょう。わたくし的には、現役時代の知名度が全国区ではなくとも名監督になられた古葉さんや仰木さんのような地道だけど確実な名将になってくれるように期待しています。
西村さんは四谷三丁目の居酒屋「あぶさん」の上客で、同じ宮崎県出身のマスターの石井さんも常連客から「監督」が誕生したことをさぞ喜んでいることでしょう。昔はビートたけしさんをはじめ軍団の方々もちょくちょく店でお見かけしました。ロッテとダイエー選手の溜まり場でもあったし、愉快な店です。今も俳優の芦川誠くんも働いています。機会があれば、立ち寄る価値がありますよ。
てなわけで、「ネバーギブアップ物語」の抜粋を続けます。
中略。
打者なら出塁することが仕事だろう。しかし走者たちは塁に出てからが本当の仕事なのである。一塁ベースを駆け抜けセーフの判定を聴いてから、孤独な闘いが始まるのだ。
「五感という五感のすべて、全神経をピッチャーとキャッチャーの動きに集中させるんです。歓声なんて聞こえない。気がつくと手のひらがべっとりしているんです」(西村)
投手の歩幅、肩の開き、顔の動き、軸足の位置。捕手なら、牽制のサインを出す指の動きからくる右肩の揺れとマスク越しの目線。走者はバッテリーの数センチの動きも決して見逃さない。
中略。
有明小学校から福島中学へ。西村は野球部に在籍していたが、足が速いという以外特に目立った選手ではなかった。県立の福島高校へ進学してからも何気なく野球を続けたが、二年に進級したある日突然、退部を申し出た。
「別にね、何の理由も無かったんですよ。ただ、まわりの友達がバイクを乗り回して遊んでいるのを見てうらやましくてね。それに比べて自分は毎日毎日暗くなるまで野球ばかりやってて・・・。ただ単に遊びたかったんですよね」(西村)
口頭で監督に退部を告げた西村は、その日から一週間、友達の中型バイクを借りて無免許で山道を走り回った。ところが、十日も過ぎたころ西村はある光景に驚いた。自宅の前に白いユニフォームを着た野球部員が二十名も集まっているではないか。「こりゃヤバい」と思った西村は自転車ごと竹林に身を隠し、日暮れを待った。しかし、先輩のひとりに見つかり、家へ連れ戻されてしまった。
「あの時、おふくろに、みんなこんなに心配してくれてるのに、あんた一体何やってるの、って叱られてね。それでまた野球を続けることにしたんです。あれでやめてたら今の自分はないですよ」(西村)
西村を打の中心とした福島高校はその年の夏の甲子園切符を手に入れた。しかし、卒業後も、野球を続ける気はまったくなかった。
「大学へ行っても、社会人になっても野球やったら遊べなくなっちゃうし、もしかしたら野球が好きじゃなかったんじゃないかな」(西村)
結局、西村は母方の伯父のすすめで鹿児島鉄道管理局の試験を受け、入局した。しかし、入局した同期八人のうち西村を含む五人は正局員ではなく臨時局員としての採用だった。作業着を着てヘルメットをかぶっての駅構内の草むしりや雑用が主な仕事。給料は手取りわずか七万円だった。正局員のボーナスが二十万円なのに対して西村たち臨時職員はやはり七万円だった。
「ホントに悔しかったですよ」(西村)
車のローンとガソリン代、寮費をを払うと手に残るのはわずか二万円そこそこだった。
中略・・・。
と、こんな感じです。
遊びたいがためだけに野球をやめ、車が命で車のために働く。同じ世代で同じような地方で育った私にも、そんな仲間がうじゃうじゃいます。
ド田舎のローカル駅で草むしりをしていた雑草局員時代の彼が、プロのユニフォームを着て五感を研ぎ澄まし、ついに監督の座にまで上り詰めたことを、あの頃どこまで想像していたのか、今度、会う機会がありましたら、是非聞いてみたいと思います。
全世界の草むしり諸君に勇気と希望を与えてくれた雑草盗塁野郎。監督としてどんな野球を見せてくれるのか。これで、私が来季応援するチームが確定いたしました。ただ、幕張は遠すぎるので、交流戦で神宮か東京ドームに来た際に応援に行こうと思います。
あとロッテ球団にお願いです。2年契約というのはどうでしょうかね。政治の世界でも最低4年が任期です。監督適任者不足が叫ばれる日本球界において西村さんのような監督を育てる最良の機会です。せめて4〜5年という余裕を見せて欲しい。そのために私がロッテのチョコをたくさん買いますから・・・。