少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

253  破壊の街

我が家は京王線・笹塚と小田急線・東北沢の中間地点にあります。この秋で14年目になります。我が50年の人生で同一場所最長滞在記録となりますが、正式に家に居た時間はその3分の2くらいでしょうか。
当時は観音通り、北五、東北沢商店街と3つの商店街があり、それは現在も存在こそしているのですが、それぞれの事情で、最早、商店街と呼ぶには気の毒なくらいの様変わりようです。個人経営の飲食店、青果店、肉店、鮮魚店、菓子店、米店、酒店、玩具店、雑貨店、個人医院などはあとかたもなく消え、観音通りなどは何故(なにゆえ)か美容室通りと化しております。
栄枯盛衰、兵どもの夢の跡の名残りは、ヤンキーどもに落書きされたシャッターにのみ残されているのですが、今やそのシャッターすら取り壊しの対象となり、気がつくとユンボが鉄の爪で容赦なく昭和の記憶を根こそぎ削りとってしまうのです。
およそ40年前の都市計画、中野通りの拡張が、すでに不必要になった現在、着々と行われ、東北沢商店街は壊滅。情緒ある商店街は取り壊され、そこに建てられているのはオモチャのレゴを並べたようなカステラのビル群。駐車スペース2台分の敷地に3階建てのビルを建てるなんて東京以外どこにもないでしょう。
中野通りの拡張に伴い、やはり昭和情緒の残る東北沢駅もガラス張りのおしゃれでダサい高架駅ビルになる。完成予想図なるものが駅に張ってあるけど、下北沢では「駅を勝手に新しくするな」と地元住民のデモまで起きたけど、小田急は「そんなのカンケーねえ」で工事を強行。味も素っ気も情緒もヘチマもない駅ビルになり、歴史の街は写真の中のものとなる。
そうこうしているうちに京王・笹塚駅も築43年の駅ビルを今月末日を限りにぶっ壊す。テナントは泣く泣く追い出され、年齢的に新しい店を探す気力もない店主は廃業するしかない。子供の居ない(家賃がベらボーなので子供が小学生になると、みんな郊外へ移住する)老人と飲み屋のオネーちゃんたちが混在する町に30階建のビルをおっ建てるんだそうな。いったい何のために?
「使えるものは大切に使う」。親や先生にそう教えられなかったのだろうか?僕らは折れたバットに釘を打って繋げまた使った。破れたズック靴は縫い合わせて、底のゴムが擦り切れるまで履いた。折り込み広告の裏をノート代わりにして、一冊の教科書を友達と使いまわしにしたり、みんなで必死になってベルマークを集め、何年もかけ全校でジャングルジムをゲットした。そんな時代の人間ですから破壊されゆく町並みを涙なくして見れません。
本日、順天堂大学浦安病院にて石教授の紹介で業界大手の「東京葬祭」佐藤会長と懇親。中国でのビジネスに力強い賛同者を得ました。
夜は西新宿の「さくら水産」にて明大の先輩で中日スポーツの宮脇デスクと久しぶりの懇親。明大マスコミ研究会の会合に来たそうで、昔の仲間の近況を聞き、生ビールや魚をゴチになる。
笹塚駅から自宅に戻る時、新たなるTOKYO変人に遭遇。変人は20代OL風。両肩からショルダーバックを下げ、お湯入りのカップヌードルを両手で蓋が開かないように大事に大事に持ちながら速足で僕の前を歩いていた。「いくら部屋が近いからってそこまで横着せず、お湯くらい部屋についてから入れろよ」と僕は彼女にテレパシーを送ったが彼女に気付く余裕はなさそうだ。そんな彼女の歩行スピードは落ちない。すぐ近くかと思いきや、どんどんと私の自宅に近づいていく。「おいおいオレの家まで行ったら女の足なら5分はかかるぜ。ウルトラマンは3分しか地球に居れないからカップヌードルは食えないそうだけど、5分も経ったらのびのびだぜ」。僕は彼女と遭遇して2分すぎのあたりでもう一度テレパシーを送った。彼女がコンビニでお湯を入れた時間を逆算すると、麺はすでに限界に差し掛かっているはずだ。他人ゴトながら、マジで気になってきた。僕は「彼女の部屋が次のマンションでありますように」と心の中で神に祈ったが、結局彼女は僕の家の前をも通り過ぎていった。
これは彼女の計算ミスなのだろうか?いや、あのヌードルを持つ手つきからして常習者と見た。いずれにせよ、安城では見たことのない光景だったことは事実である。