少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

262  48茶100鼠(2)

パーティーの行われたマンションは、これが個人所有のマンションかと思われるドでかいマンションで、当時でも入口に制服姿のガードマンがいたことを覚えている。
見たこともないイタリアのワインをはじめとする酒がズラリとテーブルに並べられ、紳士淑女がワイワイとおしゃべりを楽しんでいた。僕はというと、何か特ダネのひとつもスクープしたいと思い、誘われるがままにパーティーに参加したのはいいものの、ユニフォームを脱いだ選手の顔など誰が誰だか見分けもつかず、ただ隅の方でもじもじしていた。
広報担当者から立派な名刺を渡され「その気になったらいつでも来いよ」などと社交辞令なのか、こちらの気持ちを試しているのか、返答に困ったことを忘れません。
当時、やっとの思いで入社したばかりだし、メジャーリーグからのお誘いなら二つ返事で飛んでいったけど、サッカーなんて知らないし、興味もないし、イタリア語わからんし・・・。今でも彼の名刺持ってるけど、今からじゃ遅いかな、25年前だし・・・。
まあ、そんなわけで語学は損はしないということ。野球記者でも外国人選手にインタビューできたり、日米野球ではプライベートでいっしょに飲みに行けたりできたので、悪いことばかりではありません。
さて、話を元に戻しましょう。
コメンテーターのひとりが、英語もいいけど、日本語はもっといい、日本語には侘び寂びというものがあるからね、とコメントしたが、本当にその通りだと思います。
例えば英語も中国語も私(一人称)はI(アイ)と我(ウヲ)だけで他にない。日本語なら、私、僕、俺、おいら、オレ様、あたい、あっし、拙者、それがし、おいちゃん、わし、拙輩、おいどん・・・と無尽蔵に出てくる。こんな豊富な種類を持つ言語はおそらく世界中どこを探してもないだろう。日本語は発音が簡単だし、基本文法も素直だから、外国人には覚えやすい。だから基本的な言葉は比較的短期間で習得できると思うが、日本語を極めることは金田一先生のレベルに到達しないとね。
その典型的な例が今朝のサンデーモーニングの「48茶100鼠」。江戸時代の染付職人の専門用語で「染付の色が、例えば茶系だけで48種類。鼠色に至っては100種類の色があり、その148色すべてに○○色と名前が付けられていた」というエピソード。なるほど、そりゃあ凄い。贅沢と繊細、色彩と文化の伝統ですよね。日本人以外に真似のできない芸術文化と言語文化です。
「英語なんて言葉なんだ、やれば誰だってできる」東進予備校の英語教師のCM、迫力と説得力ありますよね。だいたい入試に英語を取り入れたのもマッカーサーの植民地化政策の一環とみて間違いないだろう。知識を得ることは素晴らしいことだが、あやうく大切なことを忘れて、マッカーサーの洗脳で背骨を抜かれるところだった。(了)