少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

280  さらばバズーカ

「家に帰るとテレビがなくては生きて行けません〜」ご存知、桑田圭祐さんの「私の世紀末カルテ」の一節。大宅壮一が「一億総白痴化」を訴えてからもう何年経ったのだろう。映像垂れ流しのテレビを見れば見るほど、人々の想像力思考能力を著しく低下させ、白痴にするのだという名言は最早死語となってしまったのか?
我が家にカラ―テレビが登場したのは僕が小学校低学年のころ。何でも新しいモノ好きな父親が買ったのは日立キドカラ―ポンパ。「ポンとボタンを押すとパッとつく」というネーミングで、おまけについてきた日立のマスコットのオウムを姉と取り合いした。それまでモノクロのブラウン管だったので、スイッチを入れてから画像が映るのに、ブラウン管の温まる時間が恨めしかった。スイッチを入れるとすぐに映る。その映像の鮮やかさに子供ながら感動した。ブラウン管世代を知る者ならではの喜びで、現代のクソガキどもにはわかるまい。特にナイタ―中継は美しく、それまでの街頭テレビ時代にはユニホームの色すらわからず見ていたものだから、南海ホークスのアンダーシャツがモスグリーンだったとは知らなかった。また、テレビを見ない時には専用の布を画面にかぶせていた。昭和40年代の話。
さて、積年ボロアパート時代を経て、やっと新築一戸建てを世田谷区船橋に購入出来たのが今から17年前の33歳の時。雑誌で見つけたデザイナーの伊藤哲郎先生を訪ね、純和風に設計していただいた。玄関は土間にし、木と土だけしか使用しない造りである。新聞記者時代だが、バブル期でアルバイト原稿もそこそこあり、家具や家電も新品で揃えました。
そこで購入したのが、当時の最新作「東芝のバズーカ33インチ」。ラモスがCMで起用され、迫力の横型画面に子画面付きで野球とサッカーを同時に見れる、という優れもの。それまで20インチのテレビしかなかったのでその迫力たるや、堂々たる存在感がありました。
それから17年間、バズーカはよく頑張ってくれました。僕の家電はパソコン以外はみな頑張るのです。例えば24年前、中日新聞に入社して初めてのボーナス(月賦だけど)で購入した中森明菜の「パイオニア・プライベート(コンパクトステレオ)」は何度か修理したけど、今も現役です。冷蔵庫だって、ドアが重力に負けて落下するまで使えたし。布団乾燥機なんて浪人時代から愛用しています。
さて、先日中国から戻り、日曜日の夕方、いつもついている「サザエさん」を見ました。ところが、サザエさん一家の丸い顔がみんな真っ赤赤で誰が誰だかわかりません。声で判断できるのですが、音声を消したらサザエさんも波平さんも、ただの赤い風船です。そんな赤い風船を我が家のロンドンブーツ2号小学4年生は、けなげにも文句も言わずケラケラと笑いながら見ているではありませんか。2号とはよくチャンネル争いをします。夕方のニュースやたまにやるナイタ―を見たいのですが、1勝9敗のペースで2号のお気に入りの「はんにゃのピラメキーノ」や「ポケモン」に負けます。
我が家の財政からして「うちには地デジは来ない、覚悟しておけ」と家族には宣言しましたが、さすがにどのチャンネルも、みんな大酒をかっくらったような真っ赤な顔では、本当に誰が誰だか分りません。かの桑田圭祐でも「テレビが無くては生きて行けない」というのだから仕方ないか、ということで決断しました。
さらばバス―カ、本当に今までありがとう。引退試合は派手にやろうぜ。