少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

401  長い午後の憂鬱

おかげ様で「少数派日記」は400回を超えました。「400」という数字ですぐに連想するのは金田正一さんの前人未到空前絶後の400勝です。ただ僕ら世代は残念なことに、金田さんの全盛期である国鉄時代を知りません。金田さんの球を唯一ノーサインで受けることが出来た捕手、根来光弘さんは、昨年の今ごろ、他界されました。口数の少ない静かな方でしたが、ラグビー好きで、私がヤクルト担当時代、編成部(スカウト)におられた根来さんには随分と親しくさせていただきました。
400=金田さん=根来さんと連想してしまうので、大きな意味はないのですが巻頭に書かせていただきました。
きょう11月7日は多くの友人がお店に駆けつけてくれました。仔細は設立状況36に書きます。
この日は先日亡くなられた知人のお父様のお通夜に横浜に行きました。
14時43分、国鉄三河安城発東京行き、こだま660号に乗車。その40分前、僕は店の前のイトーヨーカドーの紳士服売り場に行き、黒のスラックスを調達。時間がないので最初に手にとったものを試着したところ、サイズがぴったりだったのでこれに決定。スソ直しの時間は当然ないので、裏側からガムテープで留めました。布ガムテなら、良かったけど、紙ガムテだったので履く時にすでに剥がれてしまい、無残な姿。黒のジャケットがたまたまクロゼットから出てきました。どうしてこれがここにあるのかな?思いだした、2年前に他界した友の葬儀に参列した時に着たものがそのまま置いてあったのだ。ネクタイも白のワイシャツもあった。なんとかカッコだけは万全だ。
知立高校の同級生のMさん(女性)が店から駅まで車で送ってくれた。素敵なベネチアガラスのペンダントは「お姑さんが買ってくれたの」だそうだ。お姑さんとの確執はよく聞くが、上手く行っている話はそうそう聞かない。素晴らしいことだ。開店祝いに観葉植物が5種類もひとつの鉢に入っているオシャレなプレゼントをいただいた。こんな重いもの運ぶだけでも大変だっただろうに。有難い。
「昔、東京に遊びに行ったとき、安藤君の親戚の家に泊めてもらったよね。早稲田のバンカラの学生さんたちと飲みに行ったのも懐かしいわ」と彼女。30数年前の記憶の糸をたどると確かにそんなこともあったか。
クレジットカードで切符を買い、ホームで新聞と飲み物でも買おうとしたがキオスクがない。ホームの駅員に聞くと「そら、もうありません」と。オヨヨいつの間に。仕方がないので自販機でお茶を買う。珈琲は試飲で飲み過ぎてもう飲めん。
東に向かうこだま自由席はがらがらだったのに、静岡あたりから人が乗り込んできた。熱海あたりからは通路に立つ人も増えて来た。礼服姿の人が目立ったが、半分が白いネクタイ、そして半分が黒だった。若い女性は結婚式の引き出物を窮屈そうに足元に置いていた。
小田原を過ぎたころ、僕は車内でワイシャツに着替えた。ネクタイはまだしない。
新横浜で下車して乗り替え長津田へ。結構混んでいて座れず足が痛い。そこからタクシーでお通夜の斎場へ向かった。知り合いがひとりもいない僕は、お焼香の一番最後の列に並んだ。憔悴した彼女の姿を見るに偲びない。
「遠くからわざわざ本当にありがとうございます。まだ、実感が沸かないんです。これが現実なのかどうなのか・・・」
彼女と僕は少ない言葉を交わした。僕が彼女になんて声をかけたのか覚えていない。実際は何も声をかけれなかったのかも・・・。
新横浜から新安城までの終電時刻は古橋に調べてもらった。通夜が終わり、まだ余裕で時間がある。タクシーを待つ間のほんのわずかな時間だが、会場に僕と棺の中のお父様の二人きりになった。僕はもう一度、棺の中のお父様を見た。何を祈ったのか、もう思い出せない。
定年後、お父様が陶芸に没頭されてた話は彼女からよく聞かされていた。祭壇の隅に作品が二点飾られていた。僕は、あまりの出来映えに驚かされた。無断で少し触れさせていただいた。
青磁の平皿と黒褐色の三足菓子皿。素人の趣味の域をはるかに超えた作品だ。銘はあるのだろうか?
外気に触れ、器は冷たいのだが、得も知れぬ暖かさが伝わってきた。どうしてだろう。魂が宿るとでもいうのだろうか?ほんのしばらくの二人だけの時間。お父様の無念は感じられなかった。穏やかな空気が漂っていたからだ。
帰りの新幹線の中、そんな内容を彼女にメールした。返信はまだない。悲しみの実感が募るのはこれからだろうか。