少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

437  いじめのメカニズム

きょうもまた独り(一人)、虐め(いじめ)の犠牲者がこの世を去る。
辛いニュースだが、事実だ。だからどこかで歯止めをつけなければ、と願いつつ書く。
どうしたら、こんな事態を引き起こさないようにできるのか?それは、僕がリスペクト(respect=尊敬)する戸塚ヨットスクール戸塚宏校長の著書「敵は脳幹にあり」に完璧なアンサー(answer=回答)があります。
著書では「脳幹」の生理的なメカニズムを解説しています。どうして「いじめ」が生じるのか、という疑問に対して、その回答は脳幹のメカニズムにあると生理学的に回答されています。
これは昨今、話題になっている「移植問題」にもリンクするので、私は以前から興味を抱いていました。「臓器移植法案」が可決され、その結果「脳死を持って人の死を死と判定する」という基準が立法されました。つまりまだ、心臓が動いている、人工呼吸器を外さなければまだ呼吸している、体温もある、見た目には寝ているだけ、という状態でも認定医から「脳死」と判定されれば、その瞬間に死者となるのです。
難しい判定ですが、判定には数多くの基準をクリアしなければならないので、「脳死」判定された人がその後、蘇生した例は無いわけではありませんが、世界でも数少ないはずです。
つまり「脳死」とは「脳幹」の死であって「脳」の死ではないのです。(脳が死ねば心臓は動きません)。人間の生死をつかさどる部分が「脳幹」であり、それがすなわち「いじめ」の構造に直結するのだと「著書」には書かれています。
著書の中で戸塚校長は「いじめ」を完全否定しておらず、むしろ「必要悪」であると肯定的に書かれています。つまり世の中に出れば、もっともっと「陰湿ないじめ」と遭遇しなければならない事態が訪れます。子供時代の「いじめ」はそれに対する免疫効果になる・・・と。まったく同感です。
されど、「いじめられた側」を自殺に追い込むまでの「いじめ」はいかがなものか。もちろんこれに対して戸塚校長は肯定していません。これを防ぐために「脳幹を鍛える必要性」を著書で訴えているのです。
端的に言うと脳幹を鍛えるのに一番必要なものは「恐怖」だそうです。それも「死を感じるくらいの恐怖」だそうです。例えば子供が木登りをして誤って木から落ちる。子供はその瞬間、過去に味わったことのない恐怖を覚える。これが「死の恐怖」。そしてそれを感じるのは「脳」ではなく「脳幹」であるのだと。
僕らの子供のころは、木やジャングルジムから落ちる子、魚を獲ろうとして川に転落する子、自転車でアクロバットをやって大怪我する子、屋根から落ちる子など、そこいら中におりました。今では勾引(かどわか=誘拐)防止のため、子供が単独で遊べなかったり、モンスターペアレントの弊害で学校でも子供の怪我防止を最優先し、木登りなど危険とみなされる行為はさせてくれません。つまり子供たちが脳幹を鍛えるチャンス(死の恐怖を味わうチャンス)は奪われてしまっているのです。
死の恐怖を一度でも体験した子供は本能がそれを覚え、相手を死に追いやるような行為は本能がそうさせないのです。意思は脳が決断しますが、生死にかかわるような判断は脳幹の持つ理性動物としての本能が判断します。ここが決定的なボーダーラインです。
戸塚ヨットスクールでは、教師も親も完全に見放した矯正末期症状の問題児童を、これまで1000人規模で社会復帰させという動かせない実績があります。その教育方針は一貫して「脳幹を鍛える」です。つまり、泳げない児童を海に落とし溺死寸前まで追い込む。そして「死の恐怖」を脳幹(本能)にたたき込むのです。いささか乱暴な書き方ですが、これも戸塚先生の別の著書にある表現なのでそのまま書きます。誤解なきように加筆すれば、何人ものプロのコーチが完全な救助体制の中での訓練ですので、ここで死亡事故は発生していません。
ここからは安藤の持論です。「いじめ」のメカニズムは「絶対的安全」の中でしか飼育されてこなかった子供が、その本能(本人に自覚はない)が自分のエゴ(不都合に対する不満)のはけ口として、自分より弱者を本能が見つけては度を調整できないまま、攻撃(快楽)するのです。そして、そのような環境を作ったのも、脳幹を鍛えられないまま、大人になってしまった親と教師なのです。
そんな脳幹虚弱な大人たちの犠牲者は自殺した子供だけではなく、追い込んだ側にも及びます。もうこれ以上、悲しいニュースは聞きたくないので、ブログ読者のみなさんからも、このようなメッセージを発していただきたいと思い書きました。戸塚先生の著書を一度読んでみてください。