486 いじめ乗り超えた少女3
この宮崎君という中学生の作文の内容こそが、本来、最も理想とする(いじめの)教育現場(教室)の姿です。彼女をいじめていた男の子も「必要悪」として存在する価値があったのだと僕は思います。何より素敵だったのは作文のなかに親や教師、いわゆるPTAの介入が皆無だったこと。すべて子供たちだけで解決したということです。
いじめる男の子がいて、いじめられた彼女がいて、クラス全員が大人になれたのです。これが宇宙の法則だと思います。世の中、理想だけでは生きていけないのです。彼女がどのようにして「乗り超えたのか」。大人たちはそこに着目して、子供たちに伝授する義務があります。
たまたま彼女が強い人間だったから・・・では回答にはなりません。何故、強くなれたのか?強くなるにはどうしたらいいのか?強くならないとどうなるのか?子供だけではなく大人にも共通するテーマです。焦点は「乗り超える」です。
曽野綾子というトンチンカンな作家が逃げればいいだの、ひきこもればいいだの、先生にチクればいいだのと無責任極まりないことを産経新聞一面に掲載しましたが、宮崎君の作文こそ一面記事に値すると僕は真剣にそう思います。
以下、「少数派日記」のいじめ関連過去ブログです。ご参照ください。
437 11/23「いじめのメカニズム」 441 11/24「いじめと栄養」 445 11/25 「超える力」 485 11/27 「真のいじめ対処」 438 11/23「いじめの記憶」 439 11/24「いじめ根絶不可能国」 440 11/24「不良の必要悪」 443 11/24「悲しみの作文」 492 11/29「毎日子供が首を吊る」 480〜484 11/24「曽野綾子のいじめ浅考1〜5」