少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

520  人間関係構築論

道徳めいた話や、聖人君子的な説法は昔から性に合わない、苦手である。ただ、きょうはホテルのラウンジにあったキリスト教の冊子をパラパラとめくっていたら、昨日のブログの内容とシンクロしていたので取り上げます。大阪大学総長の山村雄一教授(故人)の言葉。
「人生において人間関係ほど大切なものはない。しかし、それをいかに築きあげ、どのように維持するかということは難しい。私はこのために三つのことを提唱したい。まず人を愛することである。それは人が生きて行く上で最も大切であろうが、また容易なものではない。医者が大ぜいの患者に接する時、あるいは教授が教え子に接する時、その一人ひとりに心からの愛情を持っているといえば、うそになる。しかし、愛のない医者と患者との間、愛のない教師と学生との間には、まことの人間関係は成立せず、医者となり、教師となった甲斐はなくなるだろう。
ところで真の愛ということを突きつめていくと、その背景に人を信頼するということがなくてはならないことに気付く。砂漠の太陽に似た灼熱の恋も、色褪せてみれば動物的感情のみ残っていたということは、愛に信頼が伴わなかった場合であろう。だが、人を信頼するということも、言うは易いが実行は難しい。世の中で人が人を信頼することの難しさは時代とともに増大している。このような人間関係の中で、人を信頼するためには、人を赦(ゆる)す心がなくてはかなわない。しかし、人を赦すことも難しい。人によっては最も難しいと言うかもしれない。それができれば、なにもかも問題ではないと言われるかも知れない。このように、考え方によっては最も難しい人を赦すということを可能にするには、最初に戻って人を愛することである。人を愛することが初めにあれば、人を赦すことができるであろう」(以上)
正論であるが人間社会においては理想論に過ぎないと僕は思う。まあ、阪大の総長になられた方の言葉だから有言実行だったとは思うが、この一節の結論は人間には出来ないが、神様はそれが出来ると結ばれている。
人間関係が大切なことは誰でもわかっている。だが、築こうと思って築けるものだろうか。そんな意図的なものはカタチでしかないと思う。
小学生の時、ボーイスカウトの入団の最終テストで隊長からこう問われた。「あなたは名誉という言葉を知っていますか」「はい、知っています。名誉とは人に信頼されることです」「入団おめでとう」。ある種の儀式だが、僕はこれこそが人間関係の一歩ではないかと思う。
かくいう僕は多くの仲間からあいつは「信用おけん」「ちゃらんぽらん」「いい加減」「適当な人間」という形容を頂戴している。特に家族からは「まったく信用できない」と最大級の不信感を抱かれています。