少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

615 用意された90日

ビザの連続滞在可能期間90日間をフルに使いたかったが、体調のこともあり、3か月以内変更可能のオープンチケットを、HISで探した。JAL、ANAは軽く10万を超えるためハナから論外。結果、大韓航空のソウル(仁川インチョン)経由、上海便が最安値で52000円、込み込みで64770円。これに決定した。それでも、途中で一度は帰国し、体調チェックをしなければ、とは思っていたが、なんとか無事90日間を過ごした。
今回、悲惨な結果に終わったが、その因果は運命めいていたから、きっと何か意味があったのだろう。
実は、僕がこのチケットを予約したのが去る1月11日のこと。直後に「K」の日本本社のY社長に「チケットが取れたので1月14日に行きます」と連絡を入れた。
実は本来なら、その日こそが「K」が上海撤退を正式決定した日だったのだ。
上海では日本本社のY社長の指示により、S店長と王さんが、大家への賃貸解約書類をすべて揃え、大家とのアポの時間が来たので、大家の元へ書類を届けるため事務所を出たところだった。そこへS店長の携帯電話が鳴った。
「書類もう出したの?」
「いえ、ちょうど今、出しに行くところです」
「あっそう、だったら出すのちょっと待って」
「えっ?」
電話の主は日本のY社長だった。
何が起きたのか、その時点ではS店長にも王さんにもわからない。
そんなことが、あったことも、僕が知ったのは、ずっと後のことで、S店長との会話の中で、そんな経緯を知り、時系列をたどると、僕がY社長に上海行きを告げた直後、Y社長がS店長に国際電話を入れたことがわかった。
つまり僕の上海行きの報告が一日、あるいは一時間でも遅かったら、もしくは、S店長が携帯を忘れたり、電池切れ、電波不通など何かしらの理由で電話が通じなかったなら、僕が上海に着いた時にはすでに、上海「G」はもう消滅していたというわけだ。
そして、僕が取った帰国用のチケットの日時が4月13日。奇しくも、その日が上海「G」の最後の一日となったのだ。これを運命と言わずに何と言おう。
今回、「G」からは一円の報酬も得ていない。航空機代を含めすべてが自腹で、いろんな意味で足が出た。ただしこれは先行投資だから、不満はない。もともとそういう約束だ。ただ、僕が行ったことで、逆に日本本社に負担をかけたともいえる。
もし僕が行かなければ、3カ月前に閉店していた。結果論として単純に3カ月分、余計な家賃合計600万円超が発生したということになる。実はそのことが心苦しい。また、S店長やN料理長にも、3カ月間余計に苦しい思いをさせただけに終わったかもしれないが、逆に、それにはきっと、彼らにとっても意味のある期間だったのであれば、僕も少しは救われる。
人生に意味のないことはない。そう思って今日も生きていく。