少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

868 夕闇の墓参り

本当は明るいうちに墓参りに行く予定だった。笹塚で気になる不動産物件が2つ出たので、業者に立ち寄り、話をしていて遅くなった。
僕は楽して儲けたい。だから賃貸物件を物色している。汗水たらして働くことすらままならない時代だから仕方ないのだよ、アケチくん。
82歳の母親から「お正月ですから、綺麗なお花を買って行ってください」と所望され「はい、かしこまりました」と返答したものの、んなこた、できる道理がない。
自宅の仏壇から蝋燭と線香とスナックでもらった100円ライターだけは持ち出した。お供えものは、普段の発泡酒ではなくキリンラガークラシック缶と、100円の鬼ころしではなく260円の菊水を奮発した。童子の墓石にも駄菓子を用意した。これが精一杯の正月のもてなしだ。
新宿3丁目の伊勢丹の地下から副都心線雑司ヶ谷へ。すでに夕暮れが近づいている。なのに僕は余裕かまし雑司ヶ谷大鳥神社で参拝する。親父、おじいちゃん、ひいおじいちゃんらが何度も訪れただろう境内にひとり浸る。参拝人は永井荷風似のおじいさんがひとり。冬の夕暮れに人影はまばらだ。
暮れなずむ墓地。都会のど真ん中の雑司ヶ谷霊園。木立の間に、まだ蒼い空がぽっかりと浮かんでいる。4基の墓石の前に一本ずつ蝋燭を立て火を点ける。やがて墓地のスピーカーから、5時を告げるもの悲しい「ふるさと」のメロディーが。木琴だろうか・・・、たどたどしい音符が哀愁を誘う。普通は「夕焼け小焼け」が定番だろう。それを「ふるさと」とは粋な演出を・・・。
西の空が赤く染まり、本当に一羽のカラスが都会の空を西へ帰る。
今読んでる天童荒太直木賞作品「悼む人」のワンシーン、癌で余命三か月の巡子が、墓前で手を合わせ「来年の夏は、わたしもそっちだね」と心でつぶやくシーンを思い出す。
僕も中に入れば、普段拝んでいるのと反対側がいつも見るシーンになるんだなと、ふと思い、背中側を見る。一番星が光り、浅田美代子の「赤い風船」を思い出す。木々が重なり合い、ウィンダム・ヒル・オーケストラやジョージ・ウィンストンのLPのジャケットのような影絵のような風景が視界一面に広がる。新しい発見。
この地で生まれ育った親父はふるさとに帰れてよかったね。墓石にビールと日本酒をかけ、僕も飲む。早稲田のフランス語の教授だったひいおじいさんも無類の日本酒党だった、と親父から聞いた。
あたりがすでに暗くなり、蝋燭の炎が点けた順にか細くなっていく。最後に点けた童子の蝋燭はねばる。まだ、行かないでと言っているのかな。赤い火が消えても青い火がまだくすぶっている。人の命もこんな感じで消えるのかな。絨毯のようにちりばねられた銀杏の葉を一枚拾い、青い火にかざしてみた。小さな炎は銀杏の枯葉に燃え移り、また赤い炎となり激しく燃え出した。
輪廻転生とはつまりそういうこと。箱根駅伝のタスキは途切れることがあっても、生命の輪廻が途切れることはない。子供がいる人もいない人も、また自分が自分として自動的に戻ってくるのだから、現世の教訓を忘れて未来に生まれてはならない。僕たちは、そんなことをもう何度も繰り返しているのに、どうして同じ過ちをまた繰り返してしまうのだろうか?自己を覚醒すれば、前世の記憶が蘇るはず。それには酒が必要だ。さあ池袋で拾得さんが、待っている。早く行って、酒をあおらねば・・・。