少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

975 鍾村1

中国を語る前提として、まずは僕の好きな村を紹介したい。
鍾村「ジュンソン」と読むのだが、発音が微妙に難しく、十年経っても僕の発音だと10人中2人しか理解してくれない。
僕の知る限り、中国ではどこでも村の入り口と出口には、このような門が必ずあります。門から幸運を招き入れるという風水の教えなのでしょうか、特に尋ねたことはないのですが、こんど聞いてみます。これが「鍾村」の玄関。

村の昼間はこんな感じ。雨季が過ぎ、夏、夜になり、少し涼しくなると、この道が、まるで、原宿は竹下通り、浅草は浅草寺仲見世ごとく、人人人でごった返す。特に祭りというわけでもない。家に居ても暑いだけで、娯楽はテレビのみ。村民が、ただ当てもなく、夕涼みのために村の中鍾繁華街をそぞろ歩くのだ。もちろん車なんて入れない。10年前、間違って、僕を乗せた中国人の友人が運転する車がこの人波の中に迷い込んでしまい、脱出するのに大変だった。その時は、何かのお祭りか・・・と思ったが、何でもないただの日常だとその翌年に気付いた。

カメラを向けると必ず子供が寄ってくる。なんとなく嬉しい。
僕とこの村は永い。もう10年だ。特に知り合いというわけでもないが、自宅兼用の小さな溶接工場で裸足で遊ぶ小さな女の子を見た。床には鉄やガラスの破片が散乱している。想像しただけで血の気が引く。翌回の来中時、日本から子供のリサイクルのシューズを集め、まとめてあげた。親は喜んでくれたが、まだまだ、そんな子はたくさんいる。中国が裕福だというのは、報道されるほんの一部だけだ。

そして犬も来る。
この人たちには日本語で十分だ。「おい、喰われるなよ」

見よ、この投げ遣り(=投げ捨てておくこと。結果はどうなっても構わない。無責任な態度。やり投げ=槍を投げ、その到達距離を競う競技)な靴屋を。
これでいいのだ!

そしてこの、覇気があるのかないのか微妙な看板。
一応、客寄せのためのものではあると思われる。努力はしたんだから、やっぱり、これでいいのだ!(注=一応美容院です)

10年前に来た中国。片側二車線道路の向こうとこちら、こちらと向こうには天国と地獄ほどの経済格差がある。道幅はわずかだが、その途中に横断用の信号機は、遥か彼方までない。一時は取り外されたが、また中央に柵が作られ、人々は容易に横断が出来ない。交通量が激しく、信号もないので交通事故も絶えず、そのために横断をできなくさせた意味もあるが、真意はそれだけではない。格差社会の交流を「好的」としない人々も中に居るのだ。
僕が居る病院の16階の窓から左目には地上35階の高層マンション群、最高3億円もする豪邸群、ベンツやBMWが普通に走り、ヴィトンやシャネルの本物をぶら下げたご婦人が夕食の大根やニワトリを片手に闊歩する。そして右目には溶接所を裸足でかける少女や、痩せた野良犬、投げ遣りな商店や一部屋200元(=
一か月の家賃2600円)のアパートがひしめいている。洗濯だって洗剤なんか使わない。水で洗って干すだけだ。
僕はいつでも、この信号のない、ボーダーライン上に居る。いつだって、どっちに転んでも生きていけますから(笑)。