少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1046 我が身可愛く

青春時代をどんな街で過ごしたか?
幼児期に次ぐ、第二の人格形成の時期ではないだろうか?
僕の多感(青春)は今、現在も続いているが、特に、特別に尖った時代を東京の下町・両国〜小岩界隈を根城にしていた。特に錦糸町とは腐れ縁だろう。今でこそ、東京スカイツリーまで徒歩20分だとか、オシャレな観光スポットだと宣伝しているが、騙されちゃいかん、ディープで抜き差しならぬ街なのだ。
学生時代の4年間は新小岩、両国をヤサにしていた。二十代半ばのこと。
錦糸町・・・ヤクザ、娼婦、ギャンブラー、警察官・・・。学生がのさばれるような世界ではなかった。だが、けっこうのさばった。
警察官と殴り合ったこともある。ヤクザに拉致されたことも。娼婦が部屋に転がり込んできたこともあった・・・。強くなったと思う。隅田川にも飛び込んだ、ヘドロを飲み込んだ。土佐衛門も流れてきた。同愛記念病院アントニオ猪木も見た。
そんな尖りに尖った時代、拓郎さんのこの唄が支えてくれた。
「我が身可愛く」・・・誰もが好んだ争いごとを 辛抱強く見ていたかった 見て見ぬふりではなかったし それも己と信じたし 我慢ができぬ もう我慢がならぬ 冷たい雨を降らしてくれる

邪魔だ、そこ退け おいらが通る まやかし笑顔は勝手につるめ
毒を食らわば皿まで 正義のためなど言葉の遊び・・・
どうだ、こんな感じだ。こんなの毎日聴いていたら喧嘩もしたくなるだろう。毎日が闘いだったと思う。
安城から警官くずれのS川も助っ人に来て、ヤツはそのまま東京に住みついちまった。何歳も年上の彼女とネンゴロになっちまって。
「失うものが多いから 争いごとに身をやつす」
荒れた時代、本音だけで生きてた時代、そして錦糸町。(つづく)