少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1392 横浜紀行3

関内は懐かしい町だ。昭和57年、公式戦130試合目にして横浜に勝ち、読売を逆転して優勝した町だ。
近藤監督の胴上げを、レフトスタンドから目撃した。
当時、学生だった僕は、ドラゴンズの関東地区応援団長をしており、後楽園、神宮、浜スタの中日戦は全試合、応援に駆け付けていた。
だが、129試合目に三沢投手が乱調で負け、優勝は最終戦にもつれ込み、もし、中日が負ければ読売が再逆転優勝。細かい数字まで覚えていないが、勝利数では中日が読売を上回るのだが、引き分けの数で、勝率では読売が上回るという現象が起きたシーズンで、「だったら1勝129分け、勝率10割で優勝したる」と近藤監督が名ゼリフしたシーズンでもあった。当日は横浜の長崎と首位打者争いをしていた田尾選手が5打席連続敬遠という憂き目にも遭ったけど、それも、日本のプロ野球。暗黙のルールだそうである・・・。
思い起こせば、当時は、いまにも増して極貧生活。この日で優勝を決めてもらわなければ、実は最終戦のチケット代もない状態だった。
とにかく、学生を何人か集め、みなポケットにある小銭をかき集めた。5〜6人
だったと思うが、ようもこれだけ貧乏学生が集まったもんだ。
ようやくひとり分の東京までの汽車賃を確保。一番真面目そうな副団長のOを東京に戻し、学生ローンから軍資金を引っ張り出させてくるという作戦だった。
その間、僕らは浜スタの外野入場口で野宿だ。ちょうど、入場券購入のための場所取りにもなる。名古屋からは、何台ものバスで大応援団がやってくる。入場券の確保も団長の仕事だが、軍資金どころか、自分たちのチケット代だってヤバい感じ。
腹が減り、仲間と公園のゴミ箱に食糧を漁りに行ったら、本物の浮浪者二人が、横でゴミを漁りながら「いよいよ俺たちも、人生の瀬戸際だな・・・」「そだな・・・」という会話をしかと聞いてしまった。あれは、神様からの警告だったのだろうか、いまでも耳から離れない。直感的に「俺もやばい・・・」と感じた。
すると、景気が良かった時代なのかな、通りすがりのまだ若い30代くらいのサラリーマン風のお兄さんが来て「これカンパ」と言って1万円札をくれました。
これにはビックリでしたね。当時、1万円札なんて、滅多にお目にかかれなかったし、手に持つことなんて夢のまた夢。車は持ってたけど、ガソリン代が無くて、みんなで手で押してた時代ですからね。
さっそく代表者に酒と食糧を買いに走らせ、もう天下を獲った気分になりました。あの時のサラリーマンのお兄さん、本当にありがとうございました。瀬戸際浮浪者さんたちは、まだ生きているのかな?
それでは懐かしい映像を。中日ファン必見。その他の方はテキトーなところで。

近藤監督、帽子取られちゃいましたね。でも、ファンも乱入できる古き良き時代。ええじゃないかねえ・・・嬉しいんだもん。今は警備員がやたらうるさくてね、ああつまんね。堂上父ちゃんも若い。
でも、ホント、ええ想い出でした。その浜スタの脇を歩いていると・・・
(つづく)