少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1533 中村勘三郎さん・・・NYにて

2004年7月17日土曜日・・・。
そう、初めてのNYでの中村座公演の前日、当時、勘九郎時代。
私が勤めていたNYの邦人向けの診療所に、勘九郎さんが付き人と訪ねて来られました。
医療関係者として守秘義務があるのでしょうが、美談であり、時効だと決めつけてブログらせていただきます。
診断の結果は神経性胃腸炎。NY初公演、初の試みの前日とあって極度のストレスと緊張から、激しい下痢に見舞われていました。その日は2時間の点滴治療を受けられて帰られました。
そして翌、日曜日、本番当日、やはりまだ、下痢が止まらない・・・ということで、再び点滴2時間。
本来、休診日のところ、開院したということもありますが、ものすごく丁寧なお礼の言葉をいただいたこと、そして、大変、恐縮されていたこと、実に印象的で忘れることが出来ません。
「ぜひ観に来てください」と勘九郎さん直々にチケットをいただき「あとで楽屋に来てよ」などとまで言ってくださいました。「母親が大ファンなのでお願いします」とカレンダーの裏紙とペンを渡すと、体調が最悪の中、サインをしてくださいました。今でもそのサインは安城の実家に大切に飾っております。
安藤総理の行動派日記(高橋の3年ダイアリーより)


勘九郎さんの治療にあたったJ医師によれば「あの下痢は2日や3日じゃ止まらない、きょうの本番どうするのかな〜」と。
しかし、本番は完璧にこなされました。おそらく最悪のコンディションだったに違いありません。当然、マスコミには出ていない話です。
僕にとって、初めて観る「歌舞伎」。古典だという固定概念がありましたが、まるでミュージカルを観ているという感触。NYでウケた理由もわかりますが、ただ歌舞伎がウケたというより、マスコミが言うように、勘九郎さんというパーソナリティーに惹きつけられたのでしょうね。
隣りの席には、なんと、あの紅花CEOのロッキー青木さん夫妻が座しておられ、公演後、ロッキー青木さんらとともに、厚かましく楽屋へお邪魔しました。
当然、楽屋など、生まれて初めて入ったわけですが、プレハブ小屋で、僕の学生時代の部屋みたいに、いろんなモノや人間がごった返していて、それでもドーランを落とす間もなく、勘九郎さんが、たくさんの方々にお礼を述べていて、僕とJ医師にも「いや〜先生方のおかげで、なんとか乗り切れました・・・」なんて声をかけていただき、両手で握手してくださいました。

過日、地下鉄の女性週刊誌の中吊り広告で「勘三郎危篤、ICUから出られない」などという見出しを見つけ、一瞬ハッとしたのを覚えていますが、食道がんは早期発見で手術も成功・・・とマスコミが言っていたのでマサカのマサカです。
NYから数年後、銀座の歌舞伎座がいよいよ取り壊しとなる一か月ほど前。ひとりで歌舞伎座を訪れました。もちろん最初で最後です。
一番安い、4階の立見席で、勘三郎になった勘九郎さんの公演を拝見いたしました。ほんの通りすがりの一員ですが、なんとも寂しく悲しいかぎりです。


日記をめくると10年前はかなり多忙。02年は海外延べ166日。03年は海外述べ110日に加え入院20日間。中国と米国を行き来していた。
勘九郎さんも殺人的なスケジュールに追われての過労とも言われています。現在の安藤総理は過労と真逆の日々を送っていますが、これも神様が与えてくださった「運命(さだめ)」だと思っています。
中国の移植医の言葉を思い出します。
「人類と医学は細菌との闘い・・・」。移植手術で成功されても、抵抗力が落ちた身体に細菌が感染して、肺炎に陥り、そのまま・・・という症例がいくつかあります。
細菌とは外部から感染するケースと、もともと自身の体内にあった細菌と大きくわけて2種類あるそうです。勘九郎さんの場合がどうだったのか、情報がありませんが、僕の経験上、肺炎はウイルス性が多いと思います。
ウイルスは千差万別で、しかも新種がどんどん出てきます。つまりワクチンが追いつかないのと、ウイルスが特定できなければ、どのワクチンが効くのか、まったくわからずお手上げ状態というわけです。
今回、勘九郎さんが行った「人工肺治療」をイラストで見るかぎり、前回、僕が中国で行った「オゾン治療」に共通するところがあるようです。
肺炎は気をつけようのない疾患と言えます。
毎日が一期一会。中村勘三郎さんのご冥福をお祈りいたします。