少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1699 臓器移植考20

海外での臓器移植は、イコール臓器売買・・・だから禁止。
医師会、厚労省はマスコミを通して、声高に「禁止」の理由をそう世間に訴えました。
もうひとつの理由は、中国では「死刑囚ドナー」の問題もあり、そこで「売買」が行われるため「死刑が量産される・・・」という説です。
「臓器売買」「死刑囚ドナー」の問題は、確かに存在します。
しかし、「禁止」のもうひとつの理由・・・というか真の理由は別にあります。
ここが重要なポイントです・・・。みなさんも考えてみてください。


scapegoat(スケープゴート)という言葉を聞いたことがあるでしょう・・・。
scapegoat・・・聖書に出てくる「贖罪の山羊」(古代ユダヤで贖罪日に民の罪を負わせて荒野に放たれた山羊)
いわく・・・民衆の不平や憎悪を他にそらすための身代わり。社会統合や責任転嫁の政治技術で、多くは社会的弱者や政治的小集団が排除や抑圧の対象に選ばれる。
いわく・・・他人の罪を負わされる身代わり・・・。


では、医師会と厚労省は、何を「身代わり」(犠牲)にして何を得ているのでしょうか?


まず、その前に「臓器売買」の実態ですが、フィリピンとインドについては、以前ですが、「貧困」からの脱却というひとつの方法として「臓器売買」が、政府により認められていました。しかし、WHOの介入により、現在では、フィリピンでは違法、インドでは一部違法とされています。
しかし、フィリピンにおいては、「腎臓」の提供(売買)の資金により、家族親族(40〜50人)が、向こう10年にわたり、生活するための指導という名目の運用方法の管理を行います。
提供者の生活状況に応じ、例えば商店を開くための開業資金にするのか、あるいはバイクなどを購入し、それに準じた商業活動をさせるのかなどを細かく行政が指導する。
そして国立の臓器移植病院も完備され、視察に行きましたが、近代的な設備で、院内にはスタバやマクドもある、国際的な施設でした。


もしろん、貧困層のスラムにも行きましたが、本当に日本円で400〜500万円もあれば、家族親族を含め50人ほどの人々が10年くらいは、その元金を運用して生活ができるという実態も把握できました。


また「臓器売買」について、いわゆる「良心の呵責」について、何人かの現地の人にインタビューしたところ、敬虔なクリスチャンである彼ら彼女らは「困っている人がいるなら、その人を助けることは当然の義務。たとえ、無償であったとしても、臓器を提供せよと、懇願されれば、そうするでしょう・・・」と。


「綺麗ごと・・・」と思う人もいるでしょう。
「実際にできるのかな・・・」と疑問視する人もいるでしょう。
でも、現実として、そのようなことをサラッと即答できる日本人を、少なくとも私は一人として知りません。
これは、洗脳とかではなく、あきらかに宗教の力による国民意識の格差でしょう。
となれば、誘拐や強制は論外として、個人の意思による「臓器売買」の是非論になるわけで、日本の恵まれた環境の中で、声高に「臓器売買」は罪悪と叫ぶ人もいれば、宗教や生活環境の状況からして「是」とする人もいるのです。
何事もそうですが、地球上の環境や政治的情勢から恵まれた部類に入る日本人の「自分的上から目線」で世界を見ることの、危険性を、自分を含め常に意識しなければなりません。


日本では「親族間」の臓器提供は合法です。つまり夫婦間での臓器提供はOKです。
しかし、臓器提供者と偽装結婚し、夫婦に成りすまして、移植手術をするという抜け道もあります。
手続きが煩雑になるだけで、移植可能となりますが、その分、仲介業者(ブローカー)の手数料がかかり、患者さんやその家族への経済負担が重くなるだけです。
無闇に法を規制すればするほど、供給サイドは地下に潜り、需要サイドは、それを求め、青天井で資金を調達します。つまりは「命」のネットオークション。数が少ないものほど高額で落札されるという構図です。


医師会、厚労省の法規制により、海外での移植で、救えるはずの命が激減し、それによる経済効果(不適切な引用かも知れませんが)で提供者の家族が貧困から脱却する選択肢の一部を失いました。
また、海外での移植が禁止されたからといって、誘拐や中国での死刑が激減したという話もデータもありません。
当然です。「死刑囚ドナー」「誘拐による臓器売買」の有無は否定しませんが、それはほんの一部の暗部によるもので、全体像とは全く違うからです。
(つづく)