少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1746 浄土と繋がる香り2

茶道や華道のように香道という、極めて興味深い文化があるのをご存じでしょうか。
自慢の香りを持ち寄って優劣を決めるのですが、あくまで個人の嗜好であり、好みは人それぞれで、いかにして優劣を決めるのか、いつか専門家に尋ねってみたいと思う。
デパートの香水売場が好きで、時間があるとたまに寄ります。新作、旧作を試香するのですが、3つ4つも嗅ぐと、もう香りが混じってしまってわからなくなります。アメリカだとサンプル用のミニボトルをくれるので遠慮なくポケットに詰め込みますが、日本はそれがないので、サンプルスプレーをシュッシュッするくらいかな。風呂上りのコロンは少し贅沢ですけど、自分を癒してくれます。


それにしても香道とは極めて贅沢高尚な趣味ですよね。現存する最高峰の香木は東大寺正倉院に保管されている伽羅(きゃら)という種品の香木。これを別名蘭奢待(らんじゃたい)とも黄熟香(おうじゅくこう)とも呼びます。
日本書紀にも登場する。推古天皇3年(593年)、おそらく中国から漂木して淡路島に流れ着いたとされる。長さ156センチ、最大径行43センチ、重量11・6キログラムと、伽羅としては最大級ですが、流木としては、そんなに大きなものではないですが、値段はつけられないでしょう。記録には、室町将軍・足利義政織田信長明治天皇が削り取った跡が確認されていますが、最新の研究では徳川家康も削木したという説もあります。


戦国時代、財の象徴として崇められた「茶器」にも増して、自然物ゆえ、その価値は絶大で、蘭奢待の所持はまさに権力の象徴。
たとえば、信長所有の逸品「九十九髪茄子」(つくもなす)なる茶入れは「流転の茶器」なる異名がついた。というのも村田珠光(一休和尚の一番弟子、侘茶の祖)、朝倉宋滴(武将)から、松永久秀(室町末期の武将)に渡り、信長が京に入った際に、織田軍に降伏。家宝である「九十九髪茄子」は最終的には信長の所有物となりました。古物骨董品は銘品になるほどにつれ、芸術性の美のみならず、忌み含まれる所以は、その所有を巡って幾多の血が流れるからであって、それは人命を殺めたという槍刀の武器に関する類に限られたわけではありません。
信長が天下を摂った所以は、戦国における最先端である鉄砲の買い占めだが、これは、茶家である千利休が、堺の商人と裏で通じていて、南蛮渡来の武器の元締め役でもあり、信長が血で奪い取った数々の銘茶器と、一丁の鉄砲との物々交換が、その始まりだったという説もある。


いずれにせよ、人智では創作できない自然物故、香木の価値は計り知れません。東大寺に保存される「蘭奢待」の文字を分解すると、その中に「東大寺」という文字が隠れているミステリーも興味深い。
兜をつけることが許される武将クラスに限られるが、出陣の際、鎧の下に「香袋」の携帯を許可される。血にまみれる死臭を緩和する目的と、自身が仏になる際に、その香りでこの世とあの世を繋ぐためです。


神仏信仰はおろか、祖先の墓石まで安土桃山城の敷石に使用した魔王・信長でさえ、香を焚き、文字通り天界と魔界を行き来に没頭しました。ゆえに、香道は奥が深いのです。
路線価の話になると、27年連続で上昇した、超有名な銀座四丁目の「鳩居堂」の2012年の価格は1平米2152万円。坪単価だと約6456万円。ではここで何を売っているか?御存じの人も多いかと思いますが、実は「文房具」と「線香」です。
いいですか、坪6456万円で文具と線香ですよ。
創業は寛文3年(1663年)で現在はたぶん20代目。本店は京都府中京区。好きなので銀座に行くと必ず覗きます。庶民にも普通に手の届く商品も多く、決して上から目線のブルジョア様御用達というわけではなく、店員さんの感じも良く、癒される空間です。香はそもそもは「薬」の一種で、特に精神的な病に効く貴重な生薬です。そのため鳩居堂もそもそもは「薬種商」という、今でいう調剤薬局の登録です。
ただ、何代目でしたか、バブルの土地の急騰で相続税法による高額相続納税への抗議の意味も込め、自社ビルから飛び降りた跡継ぎもおりましたね。「香」とはそのような因果も含めて、この世に存在する、数少ない次元超越のアイテムであると、私は考えています。
つづく


興味のある方は必見のビデオです。