少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1785 浄土からの声が聞こえる29

屋外では、雪さえ舞う東北の極寒。暖房はない。配られたのは日に、ひとり2枚のホッカロン。人々はこれを宝物のように抱きしめ、幼い子や、老いた親がいる人たちは、自分の分を弱き者たちに与えていた。
拓馬と美和子が辿り着いた町の公民館。板の間に高い天井が冷気を一層強めた。隙間風防止のため、ガムテープを張って密閉した室内は、換気されず、逆に酸欠状態を招いた。
ただでさえ薄い酸素が、人々の脳内を完全に麻痺させ、高い天井から日に日に降りて来る重圧、それは人々の怨念や苦痛、不平不満、悲観絶望が空気に溶け込み、はっきりと個体のようになって、人々の手に届く位置まできたようだった。 
重い、空気が重い。自身の身体より空気の方が、遥かに重い。みな、そう感じていた。それは錯覚とか気のせいとかいうレベルでは、最早ない。体感としてそう思うのだ。問題は食糧事情にもあった。
拓馬が美和子を抱え、逃げ込んだ公民館には300人弱の町民が避難してきた。全員が床に寝ると、もう歩く通路も確保できない。昼間は、なるべく、膝を抱えて過ごすか、雪の舞う外で過ごすしかなかった。
宮古とを繋ぐ海岸沿いのバイパスが寸断され、救援物資は、途中から自衛隊員が手作業で運んでくれたのだが、限界がある。避難民300人への食糧は日に一食。ペットボトル一本の水とカンパン一袋、それに氷砂糖一袋が三日ほど続いた。
歯の弱いお年寄りにカンパンは噛めず、家族がそれを砕いて水で溶いて飲ませた。氷砂糖一袋は一日で食せるはずもなく、手つかずのまま大量に余った。机上行政の不甲斐なさに、怒る気力も出ないほど、避難民の体力は急衰し、物資を運ぶ自衛隊員ですら、「どうして、ここには、まともな食糧が来ないんだ」と怒り奔走してくれたが、行政の事務上の問題で、環境が改善されることはなかった。行政に対して強硬手段を取れる剛腕政治家なり、市議が存在しなかったことも、この町の悲劇だった。震災に便乗した票獲り屋たちが、「我が村の、我が町の」と食糧や毛布をかき集めた結果、当然だがワリを喰う地域が必ず出る。不幸にも、それが、拓馬たちの避難所だった。
同じ被害を受け、家族を、家を、仕事を、同じように失っても、補償や待遇にこんなにも、地域格差が出るのか・・・という不可解な現象は、震災から二年以上経過した現在もなお続いている。
政治とは、行政とは、本来、国民がみな平等の権利を受けられるためにあるべきものだが、人類が誕生してから、それは理論とは真逆の現実があり、すなわち弱肉強食という、サファリ(safariスワヒリ語)の掟とまるで変わらない環境にある。こと食糧の争奪に関しては、これまで培ってきた日本の美徳という尊厳まで、汚すことになりかねない。
飽食という時代に慣れたからこそ、いつでも食糧なら手に入るという安心感、危機感の無さが、日本人を紳士淑女にしたらしただけであり、サムライ精神や武士道における自他共栄という精神が欠如した現代では、極限の状態になれば動物の本能として、食糧の奪い合いになる寸前という状況まで、拓馬の避難所は窮地にあった。
男どもはみな、女、子供、老人をはねのけ、食糧を奪い合うだろう。それは自身のためではなく、自分の家族のためだ。醜い姿。だが、これが生物としての人間の本性であり、本能でもある。北朝鮮、中国、韓国、ロシアが、何故、領土略奪に執着するのか、まったく同じ論理でもある。
声高に「道徳」と「秩序」を叫ぶ女が現れ、「暴動」を必死で止めようとする男が現れ、物語りは、彼ら彼女らを「勇者」と名付けるかも知れない。しかし、餓死寸前の幼子、老親を前に、勇者になれる精神状態のリーダーは少数で数の論理で圧倒され、秩序も正義もなく、単なる力比べが展開される。食糧の配給が、あと二日、いや、あと数刻でも遅れていたら、そんな流血が起こりそうな、危機的な状況下にあった。
(つづく)