少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1850 浄土からの声が聞こえる33

途方もない十か月・・・
佳子にとって、家族や友人の励ましや、温かさも、実は何の支えにもならなかった十か月。笑顔で応え、感謝を振る舞いながらも、誰にもわからぬ孤独感が悲しみを募り、「元気を出せ」と他者から言われることが、辛く重荷となっていた。会いたい会いたい会いたい・・・佳子の思いは一日千秋。こんな形で、両親と祖母を同時に失うことが、理解できず、佳子の心身のバランスは自身も周囲も気づかぬうちに、ぼろぼろと崩壊していった。粘土細工の人形が乾燥してひび割れて、そして朽ちるようにぼろぼろと。


登米の病院で、見えぬ力に引き寄せられるようにして佳子は父親を発見した。だが、佳子の涙は感涙ではなかった。あまりにも、変わり果てた父親の姿に遭遇した、哀れの涙であった。
近目に見ても、それが佳子の父親の姿であるとは、佳子の夫の昌男や孫たちには永遠に気づかないであろう。人間はここまで骨と皮だけに、成り得るのだろうか。
海焼けして太い漁師の腕回りが自慢だった父の拓馬。海女として素潜りの達人で観光客のマドンナだった母・美和子。海で育ち、海で活き、海を愛した両親が海に殺された。少なくとも父・拓馬は、もはや、息をしているだけの骸骨のようだった。


拓馬は、ぽつりぽつりと、この十か月の避難生活のことを語りはじめた。しかし、それは慎重に言葉を選ぶような表情で、愛娘が被るであろう「悲しみ」をわざと避けるようにという、拓馬の気遣いだった。
佳子もそれを察知した。
「おとうちゃん、もういいのよ。思い出したくないでしょ。それよりおかあちゃんはどう?」
「んん、あんまし、かんばしくねえっぺやあ・・・、薬も飲まんし」


あたりまえのことではあるが、海は常に危険と隣り合わせ。海水浴やサーフボードやフィッシングで海を楽しむ人種とは違い、海を生活の糧にしている人種にとって、海で命を失いかけた経験は一度や二度ではない。実際、複数の仲間たちが、海で命を落としている。そんな恐怖と闘い、乗り越えてきた今がある。無粋な気質ではあるが、その気質たるや陸の人種より、はるかに逞しい。
それが誇りでもあった強い父が、今こうしてひからびた老人となり、精気のかけらもなくぼんやりと宙を眺めている。どうしてもっと早く、見つけ出してあげなかったのか、どうして半年で区切りをつけ、捜索をやめてしまったのか、佳子は自分自身をひどく呪った。


(つづく)