少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1870 橋下徹の正論9

読者のみなさまは「パン助」とか「パンパン」という隠語をご存じでしょうか?健全なる成人男子なら知らない人はいないと思いますが。婦女淑女の読者さまにおかれては聞きなれない言葉だと思います。
俗語、隠語ゆえ、広辞苑には出ていません。
パンはパンでも「アンパンマン」でも「山崎パン」でもありません。ましてや松下由樹が上機嫌で「パンパ パン 朝は パン」などというCMは、この少数派日記の記事が世に出たら、おそらくですが「放送禁止」になるやも知れません。


一般常識として、知らなかった方は後世代へ、この闇の事実、鬼畜米兵どもが、広島、長崎に原爆を投下したあと、日本中の婦女子に対して行った強制的淫行、強姦の史上事実を伝える義務があります。
橋下徹大阪市長は「このようなことがあってはならない。だから戦争はやってはならないんだ」と何度も言っちょるのにだな、菊川クルクルウルトラ東大怜クンときた日にゃあ・・・。


以下は広辞苑に載っていません。ウズべキスタンからの引用です。闇の中の戦後史、オールドノリタケセルロイドのキューピーちゃん(occupaideの刻印のあるものには付加価値がつきます)だけがオキュパイドではないことを、心に深く認識してください。鬼畜米兵の悪事・・・


ーーーーーーーーウズベキスタンより転載ーーーーーー


パンパンは、1945年9月以降の日本における連合国軍による占領統治下、主として在日米軍将兵を相手にした街中の私娼(街娼)である。「パンパン・ガール」「パン助」「洋パン」ともいう。


概説

占領が始まって1ヶ月もたたない1945年9月には既に存在が確認されていたとされ、1946年には日本全国で7万から8万人、朝鮮戦争の激化した1952年には15万人近くがいたとされる。1956年(昭和31年)の売春防止法施行後は激減したが、ベトナム戦争が激化した1960年代後半になっても米軍基地周辺には存在した。

敗戦により経済的に困窮した日本では、生きる為に止む無く、もしくは金銭を楽に得るために身体を売る女性が急増した。特に連合国軍(占領軍)相手の売春は、金・物資ともに乏しかった日本人同士を相手にするよりも儲かったとされる。なお「興味本位や封建的な時代と戦うために働いていた」という記録も連合国軍側にはある。

また当時は厚化粧の女性が少なかった為に、全く売春とは無関係の派手な身なりの女性を指してこう揶揄する事もあった。なお、『現代用語の基礎知識』1949年版では、一般にこの言葉が広まったのは戦後のことであるが、日本海軍内では戦中から使用されていたとしている。なお時代を経て、後期には日本人を相手にする娼婦、従来は「闇の女」などと呼ばれていた層に対してもパンパンとの呼称が用いられることがあった。なお、特殊慰安施設協会(RAA)の廃止に伴い職を失った売春婦が街頭に立ちパンパンとなったと言う説があるが、実際にはRAA廃止前から街頭に立つ姿が見られていたという。ちなみに1952年、盛りそば一杯17円の時代に、ショートで1000円、オールナイトで3000 - 4000円といった料金設定であった。

ーーーーー以上ーーーーーー


まあ、公に記述できるのは、ここらあたりが限界で、鬼畜米兵の「食い逃げ」ならぬ「やり逃げ」(隠語で無チン乗車、という)は横行し、婦女を見かければ「パン助」だと勝手に決めつけ輪姦するなど日常茶飯。日本の警察なんてGHQの前では何の役にも立たず、それに見かねて結成され、GHQと抗戦した任侠の徒が、今でいう「ヤクザ」なのです。


今、みのもんたの朝の番組(TBS)で橋下徹市長が生出演していました。
バカ評論家どもが幼稚な反論をぶつけて、ひとり残らず論破されて、自身の無知無能をさらけ出しザマーミロの心境、橋下市長のぶっちぎりの圧勝じゃねえか・・・。


中には「米軍だって沖縄で女性を蹂躙してたから、日本軍が同じことをやってもいいなんて考えは到底許されない」などと、本当にこいつらの日本語力はダイジョウブかと、こちらが心配になるバカまでいた。
橋下市長ははそんなこと一言も言っていない。
「日本軍も悪いことしました。でも米軍も悪いことしたでしょ。だったらお互いに深く反省して、今後、このようなことが二度と起きないようにしましょうね」と言ってるだけであって、どこをどうひねったら、そんな解釈になるのか?本当にテレビ局のポチやタマは品が無い。





(まだ終わらせませんぞ)