少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

1952 霊波之光通信21(保険)

海外での医療業務に携わって15年になります。
この間、米国、中国で邦人患者とかかわり、保険未加入で泣いた人、そして保険に救われた人を、少なからず見て来ました。
保険をかける、かけないは賛否両論で、必ずしもかければいいというわけではありませんし、保険の種類も数多あり、また、日々、新保険が生まれては消える中で、どれに加入するか、本当に思案の暮れどころです。
今はネットからの加入が主流となっていますが、信頼できる代理店を通すのも手ですが、その分、毎月の手数料も見えないカタチで支払うことになります。


本来、保険などのお世話になることなく、一生を終えることが出来れば、それが本望なのでしょうが、トヨジのように動物並みに自然の摂理のごとくの超健康生活をしていたとしても、仕事中に三脚から落下して頭部を強打、そのまま危篤(気絶だったかな?)になった例もあります。


その時は、業務終了時間で他の業者はすでに引き揚げ、トヨジが落下して、意識不明になったことを誰も知らず、「あのままの状態だったら、きっと助からんかったかもわからん」と本人が言っておりました。
もし本当に、あのままの状態で意識不明なら、動けないトヨジは、間違いなく狼や野犬、あるいはトビやタカやフクロウの肉食鳥獣、そして羊や猿のエサになっていたに違いありません。
しかし、幸運なことに、ポツリポツリと雨が降り出し、雨粒が眼に入り、目が覚め、薄れる意識の中で、散乱した工具の先に見つけた携帯まで、ちょうど、星飛雄馬のパーフェクトを打ち砕いた、後の伴自動車工業社長である、当時の中日ドラゴンズの伴宙太捕手が、這って一塁までいくようなかっこうで、携帯に辿り着き、そして、捜索隊を呼んだそうです。
三脚から落下するときに見た走馬灯は、二度目の夫婦喧嘩の時に、怒ったトヨジが奥さんの箪笥を担いで庭に放り投げた時のことでした。(ちなみに一度目は、新婚旅行の時、飛行機の座席を巡って、どちらが窓際に座るかということでした。三度目はまだないそうです)。
結局、保険金が満額降りて、奥さんに新しい箪笥を買ってあげたそうです(保険金の使い道だけは、総理の想像ですが、あとはノンフィクションです)


また、元海軍兵の五十嵐隊長は、深夜のハイウエイ、行軍訓練の最中に暴走トラックが隊列に突っ込んできました。五十嵐隊長はかわいい隊員らを守るために、しんがりを務め、暴走トラックを制止させようと、両手を広げ、一人でトラックに挑みましたが、ノーブレーキで突っ込んできたトラックにあっさりと跳ね飛ばされてしまいました。
安田大サーカスのクロちゃん(ヒロじゃないよ、念のために)クリソツな五十嵐隊長が、隊員たちの頭上を、まるで、スキーのジャンパーのように飛んで行ったそうです。(目撃隊員の話)。
当然、五十嵐隊長は即死で二階級特進。最後に聞いた言葉は隊員による「隊長〜」の叫び声。
空まで続く白い坂道をあの隊長は登りはじめたのですが、ゆらゆらとかげろうがあの隊長を包む前に、重量オーバーで落下。気が付くと、病院のベッドの上で、お粥を食べていたそうです。そして発した言葉が「ここは何処?私はだれ?」下着はつけておらず、しかし、食欲だけはあったそうです。
退院後、五十嵐隊長はゲトした保険金で家族をハワイ旅行に招待したそうです。いまでも奥さんにせがまれるそうです。「ねえ、おとうさん、もう一回連れてって、ハ・ワ・イ」
愛妻家の五十嵐隊長は、「安ちゃん、やっぱオレ、もう一回やろうかな」と今、マジで、真剣に考えています。あの日と同じように、深夜の高速道路で、道路工事の交通誘導のバイトを・・・。
(BGMは、ユーミンちゃんで、ひこうき雲、と、あの日に帰りたい、でお願いします)



ちなみに、トヨジも五十嵐隊長も霊波之光の信者ではありません。
トヨジはモルモン教、五十嵐隊長は敬虔なイスラム教徒・・・あっ、いや、それも違うような気がします。尋ねたことはありませんが、たぶん違うと思います。ただ、ふたりとも髪の毛は一本もないので、何かの宗教の修行僧に間違いないのですが、宗派まではわかりません。
また両人とも、古き良き日本の伝統の継承者で、トヨジも五十嵐隊長も奥さん無しでは生きて行けないことは本人から言質をとっています。
「男子厨房に立つべからず」という日本古来の法律に基づき、トヨジは洗濯も掃除も炊事も何ひとつできません。五十嵐隊長はようやく、最近ですが、ごはんを炊くことだけは、奥さんに仕込まれましたが、あとは何もできません。


いずれにせよ、保険に救われた身近な例でした。


(つづく)