少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2165 偶然被害1


「この世に偶然はなく、すべてが必然である」という定説が、安藤総理の持論でもある。
地震津波の自然災害への遭遇も、あるいは通り魔的な人災も、その発生時に被害者となる当事者が、「何処」にいたかによって間一髪の「生命」の分かれ目になるのが常です。


これだけ「事故」「事件」が多発する現代社会。いつなんどき、自分自身が被害者にならない完全な方法は、残念ながら、この世に存在しません。ただ、リスクを軽減することは可能です。


例えばドライブ。助手席の死亡率が、運転席や後部座席と比較して、圧倒的に高いことはよく知られています。理由は多々ありますが、最大なのは、一番無防備であること。運転手なら、居眠りや脳障害以外なら、事故に遭う直前に身構えるので、そのわずかな防御動作が身を護りますが、助手席だと、その動作が0コンマ何秒遅れただけでも命とりになるわけです。


だから・・・といって、彼女との楽しいデートで「危ないから、キミは後部座席に座ってね」などは興醒め。彼女への、優しさ、愛情、配慮が、ともすれば「だったら、あんたが安全運転すりゃいいでしょ」なんて交通事故以上の大参事にも発展しかねません。


すべて、この世の中で起こっていること・・・それが「明日は我が身」です。
こんな事件(事故)に巻き込まれることは、運不運の一言で片づけられてしまいがちですが、安藤総理はそうだけとは思いません。改めて「リスク回避」の実行を考えさせられました。


ーーーーーーネット記事転載ーーーーーー


「償う」とはどういうことなのか…花火大会事故裁判で見えた「贖罪の現実」

産経新聞 3月15日(土)16時15分配信


決してわざとやったわけではない。しかし、補償もままならない中、これほどまで「一生をかけて償う」ことの意味が、厳しく問われる大事故はほとんど例がないかもしれない。
犠牲者3人、負傷者48人を出し、検察官が「未曾有の大惨事」と指摘した京都府福知山市の花火大会での露店爆発事故だ。業務上過失致死傷罪に問われた渡辺良平被告(39)の裁判は大詰めを迎え、3月27日に判決が言い渡される。
検察側に禁錮5年を求刑された渡辺被告は「どのような判決が出ても受け入れる」と控訴しない姿勢だが、判決は、刑罰は定めても「一生の償い」のあり方までは示してはくれない。


■ボロボロ…


2月6日に行われた被告人質問と、渡辺被告自身が初めて出席した異例の記者会見は、贖罪(しょくざい)という意味ではボロボロの内容だった。
公判では、一貫して謝罪の意志を示してきた渡辺被告だが、この日は、入廷時に被害者らに一礼しなかったことを検察側にとがめられ、のっけから黙り込んだ。

 
法廷では事件後、渡辺被告が、被害者に謝罪の手紙を書くことも、現場を訪れて献花することもなかったことが明らかになった。
 謝罪文については「どこに出せばいいのかわからなかった」と話した渡辺被告だが、検察側は「起訴状に被害者の住所が記載されている。いつでも出すことができたはずだ」と厳しく追及した。
さらに被害者参加の代理人弁護士から亡くなった3人の名前や年齢を言えるか−などとたたみかけられると、渡辺被告はまた言葉を詰まらせた。


弁護士は「謝罪の文章だけ出しても被害者の感情を逆撫でし、何の謝罪にもならない。『紙切れだけでは駄目だ』と言っていた」と、アドバイスしていたことを明かした。
渡辺被告が1月17日付で200万円の保釈金を支払った上で保釈されていたことも、被害者や遺族の怒りに拍車をかけている。
会見で渡辺被告は、保釈申請をした理由も、福知山市の現場を訪れなかった理由も「自分の足の治療を優先させた」と説明したが、重い現実を前にしては、どこか人ごとのように聞こえるほど、乾いたやり取りが続いた。

「重大なミスを犯してしまったことに対して、申し訳ない気持ちでいっぱい」。会見に臨んだ渡辺被告は改めてそう語るとうなだれた。
その日行われた論告求刑公判では検察側は、禁錮5年を求刑したが、「どのような判決が出ても受けいれる」とも話した。
弁護側は、発電機や燃料携行缶のすぐそばまで見物客が入れるような会場の設定から、「被告がすべての原因をつくったとはいえない」として過失の程度については争う姿勢を見せる。しかし、渡辺被告の罪そのものについては争う余地はなく「弁護人としても被害者には申し訳ないという気持ちでいっぱい」と話した。


ーーーーーーーーつづくーーーーーーー


過失事故にせよ、3人の犠牲者を出し、謝罪の誠意もなく、被害者の名前も知らず、保釈金200万円で保釈・・・。
自分自身が被害者、もしくは遺族の立場だとしたら・・・。
それも含めて「明日は我が身」。