読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2221 チャクラを開く1


安藤総理の死生観は「輪廻転生」。これにつきます。
昨夜は9時の消灯後、約3時間に渡り、ネットでサンスクリット語の般若心経にはまり、姿勢をただし、瞑想しながら聞いていました。


朝の行事は、車椅子に座したまま、新生太陽をいただきながら、チャクラを開く作業です。体内に充満した陰陽の気の流れを整え、生命の新陳代謝を行います。


日曜日の夕方の番組で「敦煌」の世界遺産を見て、また「輪廻転生」を確信しました。
莫高窟。鳴沙山。月牙泉。ここにも居た時代がありました。


チャクラ(サンスクリット: चक्र)は、サンスクリット語で、「車輪・円」を意味します。漢訳は「輪」(りん)、チベット語では「コルロ」(khorlo)と言います。インド起源の神秘的身体論における、物質的な身体(粗大身)と精微な身体(微細身)にある複数の中枢を指し、人体における気の流れを調節する通気口のようなものです。


ヒンドゥー教のヨーガでは、人体の頭部、胸部、腹部で、輪または回転する車輪のように光っているように感じられる箇所を言います。数は6または7箇所と言われるが、それとは別に8箇所あるという説もあり、安藤総理は9カ所あるとも聞きました。実際に穴があるわけではないので、その数一定ではありません。
新鮮な自然生命を取り込み、人間が、かつて猿であったときの尻尾の名残である尾てい骨から発生する蛇(悪)を、チャクラを通じて頭から出すのが目的とも言われています。


3月18日、東京新聞中日、松風庵主の運勢・先勝より



水は流るれど月は流れず、心を一にしておれば吉凶に迷わず、世に同調して尚、本来の信念を崩さずば時を経て発展。五尺の身のみを自分と思わずに、天地の徳を与えられている自分を発見。退一歩を学んで深く自己を養え。
身体も運も放っておけば硬くなる。心も修養せずば頑固となる。

(松風庵主)


国家が運営する「軍人病院」の優雅とは違い、民間が経営する急性期病院には、それなりの悲哀がある。ほんんどが、苦しむ老人。
深夜、何度となく徘徊する、総理の向い側のベッドの老人はまだいい。一昨日まで腹痛で丸まっていたが、座薬と麻酔が効いたせいで、深夜徘徊をするまで回復した。


「おかあさ〜ん 痛いよ〜 助けてよ〜」昼夜問わず、廊下に響く少女のように泣き叫ぶ声。「かわいそうに、まだ子供でしょ? どこが痛いの?」という総理の問いかけに「リュウマチのおばあちゃんよ。もう90を過ぎてるの」と看護婦さん。泣き叫ぶほどの痛みとともに90を過ぎて、なお、生きなければならないその意味がわからない。今、この原稿の瞬間も、おばあさんの叫びが響いてる。付添いの家族は疲労困憊で、顔が土色だ。


タンが絡む老人も辛いだろうが、そのむせびと嘔痰の音声をライブで聞きながら、食事をするオイラもキツイ。食事にナマ卵が出ないことは不幸中の幸いだけど、これが大部屋の醍醐味。味噌糞だ。


悲哀のクライマックスは、就寝前の広場、いわゆるデイルーム。
昼間は見舞客と入院患者が談話したり、テレビを見たり集う場所。和気藹々とした和みの場が、夜9時以降は野戦病院に一転する。
フロア中の各部屋から、一瞬たりとも目を離すことができない患者がベッドごと運ばれてくる。アトランダムに並べられているようだが、きっと順番や暗号があるのだろう。手薄な人材で、効率よく、患者を看視する手法。乱暴のようにも映るが、いた仕方ない。


並べられた10人近い患者は男女混合、みな漏れなく、複数の管で繋がれている。車椅子の私とは目が近い。何人かの老人の眼を覗き込んだが、瞳孔が動いていない。意識があるのかないのかさえよくをからない。
管で呼吸し、管で食事し、寝返りも打てずに生きている、生かされている。


テレビで見た、敦煌莫高窟(ばっこうくつ)に自ら入り、即身仏になることを至上の幸福という修行僧の話を連想した。
総理の祖父の実弟の安藤更生は、即身仏すなわちミイラの研究家。かの大作家・井上靖とともに敦煌に訪れたそうだ。更生氏の著作は家にあるが、まだ読んだことがない。難しそうで手が出ないのだ。


「一輪の 蓮手向ければ 咲く仏」(平成芭蕉


般若心経が説く、物質的な無が実現したとき、人はすべての痛みや苦悩から離脱できる。