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少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2238 摩利支天


摩利支天・・・武士が好んで身につけたお守り、だそうだ。


バロン吉元先生の「男・柔侠伝」の主人公・柳勘太郎は天才柔道家・柳勘九郎のひとり息子。中国大陸で馬賊の倅として過ごし、両親亡きあと、単身帰国。その後、第二次世界大戦時には少年飛行兵としてゼロ戦の飛行士になり、何度も死地を経験する。その最中、軍隊内で行われた柔道大会で、強敵と当たり、あわや利き腕をへし折られる事態となった。
しかし、その窮地から勘太郎を救ったのは、勘太郎が属した893部隊、通称ヤクザ部隊の隊長・白鳥大尉が、勘太郎に贈った「摩利支天」の鉄扇だった。
ちなみに、戦後、勘太郎JALの機長になる。


白魔女さんのブログを拝読して、摩利支天が出ていたので、ウズベキスタンを引用しながら記しておきます。


白魔女さんのブログ、無断転載
http://d.hatena.ne.jp/whitewitch/20140322/1395511579


摩利支天・・・まりしてん、サンクスクリット語:Mariciの音写、訳:陽炎・威光。仏教の守護神である天部の一柱。日天の眷属。


原語のMariciは、太陽や月の光線を意味する。摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したもの。 摩利支天の原形となった尊格は、おそらく古代インドのヴェーダ神話に登場する暁の女神ウシャス。
陽炎は実体がないので捉えられず、焼けず、濡らせず、傷付かない。隠形の身で、常に日天の前に疾行し、自在の通力を有すとされる。これらの特性から、日本では武士の間に摩利支天信仰があった。
元来二臂の女神像であるが、男神像としても造られるようになった。三面六臂または三面八臂で月と猪に乗る姿などもある。


日本における信仰


護身、蓄財などの神として、日本で中世以降信仰を集めた。
楠木正成は兜の中に摩利支天の小像を篭めていたという。
毛利元就は「摩利支天の旗」を旗印として用いた。
山本勘助前田利家といった武将も摩利支天を信仰していた。
禅宗日蓮宗でも護法善神として重視されている。
日本の山岳信仰の対象となった山のうちの一峰が摩利支天と呼ばれている場合があり、木曽御嶽山(摩利支天山)、乗鞍岳(摩利支天岳)、甲斐駒ヶ岳があげられる。


真言・・・オン・マリシ・エイ・ソワカ
陀羅尼・・・ナモアラタンナ・タラヤヤ・タニヤタ・アキャマシ・マキャマシ・アトマシ・シハラマシ・マカシハラマシ・アタンダナマシ・マリシヤマシ・ナモソトテイ・アラキシャアラキシャタマン・サラバサトバナンシャ・サルバタラ・サルババユ・ハダラベイ・ビヤクソワカ


主な寺院


聖沢院 = 京都市右京区にある妙心寺の塔頭。重要文化財の摩利支天画像。
徳大寺 =東京都台東区上野アメ横内にある日蓮宗の寺院。日本三大摩利支天。
禅居庵 = 建仁寺の塔頭。境内に摩利支尊天堂が建つ。