少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2212 悲しみのDear Song/Danny石尾さんに捧ぐ1


朝、目覚めると、まず冷蔵庫を開ける。
二日酔いでも、掟として缶ビールから一日が始まる。
基本的に何でも良かったけど、サッポロ黒ラベルがお気に入りだった。
そして、飼っていたカメに挨拶する。「お前、きょうも元気か?」と。


ライブの仕事で観れない夜は、必ず録画して、帰宅するやいなや、缶ビール片手に欠かさず観戦した。
ジャイアンツ戦とアウェイのアントラーズ戦。
熱狂的で自身も草のプレーヤーだった。


愛車、モスグリーンのビートルは、彼の代名詞。いつも一緒だった。
若き日、フォーセインツで稼いだギャラで買い、もう40年以上、一度も浮気することなく、冷房すらないクラッシクをツギハギしながら乗り続けた。
かっこいい人だった。


♪ 雨にゆれる テールランプ
  少し休めと 赤に染まる
  仕方がないさ ただガムシャラだけが
  研ぎすまされた 武器だったから・・・ ♪
ダニー石尾さんの代表曲、Dear Songsから「Dear Song」=濱田金吾作詞作曲。注=サイン入りのCDジャケットは新安城レトロカフェ・ビリケンに飾ってあるので、歌詞に間違いがあったらごめんなさい)
落ち込んだ時、常に勇気を与えてくれた唄・・・


知らなかった。知りませんでした。
先ほど、日刊ゲンダイの元同僚の顔本で知った訃報。


ダニーさんと知り合ったのも日刊ゲンダイ時代。取材で知り合った記者の誘いで、彼のライブを六本木で観て、アフターで飲んだ。
その後、ダニーの追っかけで、月イチでライブに通い、代々木のグリーンスポットでは、「shall we dance」の公開日前日に忍びで訪れた周防正行監督と役所公司さんと飲む機会を得た。
故・高田渡さんもダニーさんのライブで飛び入り参加した。
「おい安藤、高田渡が俺にも唄わせろ・・・って言ってるけど、ど〜する?」
「ど〜する?と言われても・・・私には・・・」


最後にお会いしたのは、もうずいぶん前。
ライブの案内はいただきましたが、都合がつかなかったことと、金欠だったことが、今となっては無念。
そして「死なない人」だと確信していました。


鹿島DJのダニー石尾さん死去 フォー・セインツ、66歳


5日前の4月15日だったそうです。


ダニーさんが、一番信頼していた音楽プロデューサーでミュージシャンの濱田金吾さんに、今、電話を入れました。
「去年、肝硬変になって、暮れに肝臓癌が見つかって、手術も出来ない状態で。それでも、入院したけど、退院して通院できるほど回復したり、良い時期もあってね。劇的に良くなることはなかったにせよ、心肺停止状態になっても、また生還したり、奇跡が何度も重なって・・・、このまま良くなってくれるんじゃないかと期待したけど、最期は急に訪れた・・・」
ほぼ毎日のように病院に通っていた金吾さん。
「苦しんだのは、最期の2日間くらいだったかなあ・・・。治らないにせよ、急なことだった」



つづく