少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2215 悲しみのDear Song/ダニー石尾さんに捧ぐ4

まだ、ドラゴンズを応援していたころ、ジャイアンツファンのダニーさんとは、野球の話になると必ず加熱した。50歳を過ぎて、あれだけ熱く野球を語る人も他にいないと断言する。私がドラゴンズの私設応援団長をしていた20代なら対等についていけただろうが、彼のジャイアンツ愛の熱気に、常に圧倒されっぱなしでした。


下北レトロコレクション時代、親しいお客様の中に、朝日生命の社長夫人がいらっしゃって、東京ドームのロイヤルボックスに招待してくださいました。
中央のボックスは政府要人用で天皇陛下が観覧される席。
その他に7つのロイヤルボックスがあり、そのひとつを朝日生命が所有していました。朝日生命プロ野球のさまざまなイベントや各種個人賞のスポンサーです。


で、「お友達を連れてきてもいいですのよ」というご婦人の言葉に甘えて、二度ほどダニーさんと招待させていただきました。
ご婦人もダニーさんの年代で、その昔、彼をブラウン管を通して熱狂したクチ。そして熱烈なジャイアンツファンで、ダニーさんとの観戦に大喜びしてくれました。
ただ、僕と喧嘩になるといけないので、中日戦は避け、無難な広島戦にしたことを覚えています。
高いところから、チレーなお姉さんが注いでくれるビールを、スタンド用の紙コップではなく、ガラスのグラスでグビりながら、上品に観戦するスタイルは、非常に違和感がありましたが、それでもダニーさんのジャイアンツ愛は、まるでいつもと変わらぬ熱狂でした。


「安藤、ありがとよ。ゲームは負けちゃったけど、サイコーだったぜ」
ダニーさんはそう言ってくれました。
鹿島アントラーズのスタジアムDJだけでなく、横浜ベイスターズのスタジアムDJも短年ですがやっていたはずです。


同じく、もう十年以上も前のことですが、ライブを企画させていただいたころ、ダニーさんにアントラーズの試合に招待されたことがあります。
ダニーさんの相棒・ビートルに乗せてもらい、東京から鹿島まで、片道約3時間。
「こんなに遠いんですか?」と言うと「2時間代で到着できりゃあ、ラッキーだよ。ちょっと雨が降ると、潮来あたりで道路に冠水しちゃって大渋滞なんだよ」とダニーさん。
クーラーのない相棒を窓全開で、真夏のアスファルトを飛ばし、飛ばすといっても100キロも出したら空中分解しそうな相棒で21年間。
「まだ一回も休んだことないぜ」と当時週一回のフランチャイズゲームに、クラブ創設から携わっていた。


ゲームが終了して、午後10時すぎ、鹿島スタジアムを後にすると、都内のマンションに戻るのは日付が変更している。
「スカラムッシュ」という歩いていける行きつけで、ビールを飲んで、そこの親父さんと、鹿島と巨人の話をぶちまけて寝る。
「もし、運転疲れたら代わりますよ」と告げると「バカ、この車は、そう簡単に、誰でも運転できるわけじゃないんだぞ」と笑っていた。
ワンオーナーで30年乗り続けた・・・とフォルクスワーゲン社から表彰されたとも自慢していた。今なら、もう40年以上。奇跡的なクラッシックカーだ。


♪ マニュアルだらけの この街も
  ダッシュボードに 仕舞いこめば
  ぽっかり空いた こころの隙間に
  違う景色が 見えてくる   ♪
(Dear Songより)


主人を失ったビートル、どんな気持ちなんだろう。クルマに気持ちなどない・・・という人間は、ただのバカだ。
車を、ただの道具としかみていない安藤総理でさえ、高速で衝突事故を起こし、廃車にしてしまった10年間乗ったBMWには、「本当にごめんよ」と深く謝ったし、今でもその破片とキーは大切に保管してある。暴走族のヤマちゃんから10万円で、初めて買ったシャコタンのセリカを廃車にする時も「ありがとうよ」と頬ずりして別れた。
車は道具ではなく「相棒」。片棒だけでは機能しない。


なんだか、とても切ない。
時がダメージを増幅させる。
ダニーさんの唄が聴きたい。話がしたい。一緒にビールをやりたい。


つづく