少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2240 エノラ・ゲイ(母親)という名の爆撃機


美しい話ではなく、悲しい話です。
母の日=原爆、そんなイメージがついてしまうかも知れません。
エノラ・ゲイ(Enola Gay)=第二次世界大戦で、禁断の原爆を広島に投下したB-29爆撃戦闘機の別称。陸軍航空軍・第509混成部隊第393爆撃戦隊に所属。B-29の中で、原爆投下用(シルバープレート形態)に改造された15機の内の1機で、20万人の命を奪った悪魔の機体。ビクターナンバー82、機体番号44-86292号機。


軍の指令、国家の命令だから「仕方ない」で済まされるのだろうか?
私は許されないと思う。
山とか、海とか、人がいないところに投下して威嚇する。それでも降伏なき場合は都市に落とす・・・。
原爆が完成し、沖縄をはじめ、すでに南海諸島を占領し上陸した米軍にとって、勝利は最早、時間の問題という時期。広島20万、長崎9万人の人命を一瞬にして奪い、現在もなお、後遺症で苦しむ人々を産む前に、人道的な降伏交渉は十分にできたはずだ。


1945年8月6日午前8時15分、エノラ・ゲイは、広島に原爆「リトルボーイ」を投下した。ちなみに、8月9日の長崎への原爆投下の際にも、投下の第1目標となった小倉市の天候観測機として作戦に参加していた。


そのB-29の別称、エノラ・ゲイは、機長のティベッツ大佐の母親、エノラ・ゲイ・ティベッツ(Enola Gay Tibbets)からつけられたものでした。
この機長、どんな思いで、殺戮兵器に母親の名前をつけたのか気が知れないが、重要な任務を行う機体に対して母親の名前を付けたことに44-86292号機司令であるロバート・A・ルイス大尉(原爆投下任務時は副機長を務めた)は深い嫌悪感を示したそうです。当然といえば当然です。


また、「エノラ・ゲイ」は、現在も米国で「ケツの穴に突っ込んでやれ」という悪質な隠語として、特に化学者の間で使われています。
なぜか? それは、エノール(enol)というアルコールの互変異性を表す化学式が、男を仰向けに寝かせて足を開かせた臀部の輪郭と肛門の略図に似ており、OHが感嘆する配置にあるからだそうです。そのエノール(enol)に「a」が付くとエノラ(Enola)という女性の名となり、さらにゲイ(Gay)が同性愛者も意味するからだそうで、どこの国にもくだらんバカがいるもんです。


ところで、エノラ・ゲイは、ネブラスカ州に存在したグレン・L・マーチン社(現オファット空軍基地)ベルビュー工場で製造され、その後、ポール・ティベッツ大佐により1945年5月18日に陸軍航空隊509混成部隊へ配属されました。1945年7月6日にはアメリカ本土からテニアン島へ到着し、その日のうちに原爆を搭載するため、爆弾倉の改造が行われたそうです。
配属当初、ビクターナンバー「12」が割り当てられましたが、所属部隊を表す垂直尾翼のマーキングを特殊作戦機と悟られないように変更。通常爆撃戦隊の「第6爆撃隊」表示である大型円中心にRへと変えたため、誤認防止のため「82」へ変更されました。


その後、エノラ・ゲイは8回の訓練ののち、神戸・名古屋へのパンプキン爆弾を使用した爆撃を実際に行い、7月31日には、テニアン沖にて、「模擬リトルボーイ」で原爆投下のリハーサルまでして8月6日を迎えました。


その後、米国を勝利へと決定づけたティベッツ大佐は米国でヒーローとなり、母親のエノラ・ゲイは「私の名前を戦闘機につけてくれた息子を誇りに思う」などというコメントを残しました。20万人の殺戮。親兄弟、親せき縁者を失った多くの幼子が、食糧もなく治療を受けることもなく廃墟を彷徨っているという時期に・・・。


戦後、エラノ・ゲイは近年まで、どこかの軍の公共施設に展示され、米国を勝利にもたらした戦闘機として、一般に公開され、観光客に試乗もさせていたそうです。
さすがに「世界平和」を声高に叫ぶ米国において、「それはないだろう」ということになり、現在は展示もされていないそうですが、この機により、日本が敗戦したことは事実で、占領下の屈辱の2年間は、米兵らによる、戦勝国のいわば合法的な強姦と強奪が、この日本で繰り広げられたというわけです。