少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2295 昭和34年8月25日の後楽園


5日後の地球デビューを控え、まだ名もない安藤総理が、母親の胎の中で出番を待っていたころ。
今を去ること、55年前。あの伝説の、長嶋茂雄VS村山実の天覧試合(同年6月25日)からきっかり、二か月後の8月25日。ドラゴンズは、豊川高校出身の、元祖巨人キラー伊奈努投手が、後楽園の巨人戦のマウンドで力投するも、試合は残念ながら3-4の接戦をモノにすることはできなかった。


本日の、日付繋がりチケットは、安藤総理の「お宝」です。
どうだ!!!!
まあ、興味の無い方には、ただの紙切れなんですけどね。


「貴賓席」に「普及部」の判子。未使用の超珍品。
下北レトロコレクションを経営していたころ、お客さんから買いました。


さらに、

スコアです

http://2689web.com/1959/GD/GD18.html


昭和34年のドラゴンズのトピを少し書きます。
まず、杉下茂青年監督35歳が誕生。コーチ経験もない新監督故、明大の先輩でもある、天知俊一前監督がヘッドとしてサポート。当時、一二軍合わせて7人の首脳陣のうち5人が明大OB。唯一高校出の近藤貞雄さん(岡崎中学ー現岡崎高校、後にドラゴンズで優勝監督)が二軍のコーチに。


また、前年の33年は巨人に長嶋茂雄、南海に杉浦忠(岡崎高ー立大)が入団。ドラゴンズも、早稲田から森徹を獲得。巨人に対抗するために、34年には、13人もの大量の新人選手を獲得。
その中には、江藤慎一(熊本商、捕手、21歳、背番号8)
河村保彦(多治見工、投手、18歳、背番号16) 板東英二徳島商、投手、19歳、背番号30) 片岡宏雄(立大、捕手、23歳、背番号5、立大時代は長嶋の一年後輩で、3年間、杉浦投手の球を受け、国鉄に移籍後は、カリスマスカウト部長に。尾花、古田、野茂を発掘したとして有名です)らがいて、
同年、オフには、県岐阜商から、高木守道(18歳、背番号41)と契約。そうそうたるメンバーをそろえました。


前年、長嶋選手が、当時では破格の入団契約金1000万円で、巨人と合意。金権による、選手の争奪を防止するために、翌、昭和34年には、新入団選手の契約金は上限を1000万円とする規約をセパとも承認しました。
また、ファンサービスの一環としてファウルボールのプレゼントも、この年から実施されました。当時では(現在でも)高価な硬球をもらえるとあって、ファンには大人気。何年か後、ファウルボールを獲りに行き、怪我をするファンが増え、一時、中止になりましたが、観客が、ファウルボールに注意を注ぎ、怪我の防止にもなるとして、近年、また復活しました。


また、この年、9月23日、伊勢湾台風が上陸。中日球場も浸水し、使用不可となり、川崎、広島、後楽園を代替え球場として使用。
当時、安藤総理は、東京でしたが、のちに、安城市に移転すると、伊勢湾台風で被害に遭われた友人知人も少なくありませんでした。
当時、まだ生まれた生まれてないかという、赤ん坊ですが、みんな、親から当時の話を聞かされたのでしょう。
屋根が吹っ飛ばされただの、屋根の上で産まれただの、いろいろあります。


嬉しい話題は、早稲田から入団した二年目の森徹選手が、本塁打王を獲得したことです。
トップの31本を放つ大洋の桑田武選手と2本差の29本で残り2試合。しかもダブルヘッダーの強行軍ですが、森選手は阪神・小山投手から2本塁打を放ち、桑田選手に追いつき、タイトルを獲得しました。


元祖巨人キラー・伊奈努投手の簡単なプロフィです。
時間がないので、また書きます。