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少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2459 御嶽山の暗雲


暗い気持ちです。
御嶽山の大噴火・・・。
天災・・・とはいえ、人間の人生とは・・・。


今、私は、中国の占星術を学んでいますが、その中に「奇門遁甲(きもんとんこう)」という学問があります。これは、方位術とも言うべきでしょうか。
よく、引っ越しや、転勤、旅行などで、長い移動をされる場合、方位や日時に注意しないと大変なことになる。なんて聞いたことが、あるでしょう。
その人の生年月日生まれた時刻から割り出される占術ですが、「運命学」とはすなわち「命を運ぶ学問」だそうで、この法則に逸れると、命に係わるというのです。
確かに、事件や事故に巻き込まれるケースというのは、どうしてそこにいたのか、という謎や、あの飛行機に間に合わなければ、という一分一秒のタッチの差で生死が分かれます。読者のみなさまも、ご自身や回りで、そんな経験が一度や二度はあるかと思います。


また、「人の死」には「三つの死」があると説いたのは解剖学者の養老孟司
「三つの」の死とは「一・自分の死」「ニ・身内、親族の死」「三・他人の死」だそうです。
一について、語れる経験者は存在しません。
二については、それぞれ、経験がおありでしょう。
三については、ただの数字だそうです。これは交通事故の死亡者数が「本日何人」とか、交番の横に表示されますが、ただの数字を並べただけで、誰も悲しみ痛むことがない、ゆえに無意味である、だったら悲惨な事故現場の写真でも貼っておいた方が抑止効果があるのでは・・・という結論で結んでいました。
私もその通りだと思います。氏が説かれたように、人間という同じ種族の死でも、その関わり合いの濃淡で、残された者の痛みが違うというのは、当たり前のようでもあり、また、それとは別に、深い意味があるように受け取れます。


さて、昨夜の今時分まで、御嶽山の噴火事故は、私にとって、その犠牲者の方々の死は「三つ目の死」でありました。
愛知県知立市の18歳の女子高生の子も犠牲者となり、一面識もないお嬢さんでしたが、我が母校が存在する地域故、暗雲たる気持ちでいたところ、その母校の同級生の息子さん19歳大学生も、噴火に巻き込まれ、いまだに行方不明であるということを、別の同級生から聞き、驚愕の極みとなりました。


別の同級生に確認を入れると、地元のテレビ局では、連日のように取材されインタビューを受けているとのこと。ユーチューブで検索すると、紛れもない彼の姿でした。こと、ここに至っては、何も出来ることがなく、養老氏が言う、三つ死のいずれにも該当せず・・・いや、失言、まだ、行方不明、死が確定したわけでもなく、人智では計り知れない「奇跡」を願いつつも、暗雲たる気持ちは消すことが出来ません。


さらに不謹慎ではありますが、高校時代、この中の誰かが、いずれ将来、何らかの不幸なカタチで、マスコミに取材を受けることになる・・・と、ただ漠然とした予感を抱いていました。これは予知という高度なものではなく、何も根拠も証拠もない、漠然とした予感です。
いつ、どこで、誰が、どのようなカタチで・・・、すべて、何もありません。しかし、確信めいたものはありました。
今、それが彼だったのか・・・どうか、はわかりませんが、予感に近いものを感じます。


彼は真面目で勤勉な秀才グループで、私やトヨジのような不良グループには属していませんでしたが、仲の良かった仲間です。勉強が出来たのでバカボンと呼んでいましたが。
息子さんにはお会いしたことがありませんが、毎年の年賀状には、家族写真だったので、親近感はあります。なんということでしょうか。慰める言葉も見つかりません。


数年前のクラス会の時「オレの住むマンションの同じ階に阪神の赤星選手が住んでいたんだ」と、プチ自慢話を聞きました。
「とにかく息子を連れて帰りたい。ただそれだけです」
ニュースで流れた、彼の言葉です。
もう、それが願いであるならば、自衛隊、レスキュー消防隊、警察機動隊の方々に託すしかありません。
薄っぺらい言葉ですが、それでも私は「奇跡」を祈り、生還を願います。