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少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2495 学徒動員

去る1月18日は親父の89回目の誕生日でした。もっとも生きていればの話ですが、親父は60歳で亡くなりましたから29年前のこと、母親が現在の私と同じ年の55歳の時、そう考えると、大黒柱を失った母親はさぞ心細かったことでしょう。
父親は大正15年生まれ。この年の12月25日に大正天皇崩御され、25日から31日までの7日間が昭和元年となり、西暦1926年は大正と昭和が重なる年となりました。
ちなみに昭和天皇崩御されたのは昭和64年1月7日の事でしたが、平成元年は1月7日からではなく、翌8日からなんです。これは大正〜昭和時代は旧皇室典範による元号の施行でしたが、戦後、天皇制の廃止を目論むGHQ主導による日本国憲法の改正により、皇室典範そのものが廃止に追い込まれたために、元号そのものも、天皇制を象徴するとされ、この日本の歴史から、一旦は消されました。
落とす必要のなかった大量殺人兵器を2発も投下し、非武装の市民、子供まで無差別攻撃した鬼畜米国は、日本の歴史までも奪い、変えようとしていたのです。
GHQにより事実上廃止されていた元号制が復活したのは昭和54年の国会閣議で「元号制」が承認されてからです。そのため、旧法と新法の違いにより施行日にズレが生じたのです。


話が横道にそれてしまいました。
親父は東大受験に落ちて、早稲田に進学したのですが、折からの太平洋戦争の時代で、ついに学徒出陣の命がくだったのが20歳の時、1945年7月でした。明治公園で行われた学徒出陣式にも参列したそうです。大学は繰り上げ卒業になったそうです。
で、9月1日から動員される予定でしたが、8月15日に終戦を迎え、結果として、動員することはありませんでした。ここまでは、生前、親父から直接聞いた話です。
ところで、学徒出陣とは、どのような内容だったのでしょうか?私は、てっきり、学徒が銃を持って戦地に乗り込むのかと想像していましたが、実際には後方支援部隊だったようです。


昨日(1/19)のことですが、とある古本屋さんで2時間くらい費やしたのですが学徒出陣の本が数冊あり、見入ってしまいました。その中に、かなり仔細な資料があり、親父がいた早稲田大学理工学部の学生は、ゼロ戦などの戦闘機を製作していた中島飛行製作所に動員される予定だったそうです。中島製作所は、三鷹、吉祥寺、調布近辺に部品工場などを持ち、米軍の空爆の対象となった軍需産業の要で、現在も、当時、投下された不発弾が多数、その近郊に埋まっているそうです。戦争が、あと数か月も続けば、親父が空爆の犠牲になっていたやも知れません。
中島製作所は、戦後GHQにより解体されましたが、現在は富士重工、スバルと社名を変更して、工業界に貢献しております。
当時、中島製作所の御曹司と友人だった母親の弟を通じ、母親が御曹司と懇意だったことも奇縁なことでした。


1月18日は、骨董の師匠の埼玉拾得さんからの「久しぶりに有楽町の東京フォーラム骨董市に行くので、迎えに行くから一緒に行かないか」という誘いに乗り、早朝6時半のお迎えを待っていたのですが、拾得さん、前夜、飲み過ぎて、約束を忘れ、自分だけ骨董市へ。当方、行く気満々だったので、国電にて後追い、その甲斐あって三河國藤川町と書かれた、古い薬屋の看板をゲト。
そして、靖国神社で行われていた骨董市にハシゴ。こちらは満州鉄道のホテルで使用されていた壁掛け用の鏡に目をつけましたが2万5000円の高額ゆえ断念。親父の仏前に供えるお神酒と、名物のボーロをゲト。
足の傷も順調に癒え、リハビリ感覚の骨董めぐりでした。