少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2363 御嶽の無念、そして希望

ここ数日間に渡り、御嶽のことを書いてきました。
もし、同級生の息子さんが、事故に巻き込まれていなければ、多くは触れなかった事案です。
彼は、捜索の嘆願書を、長野県知事岐阜県知事をはじめ、警察、消防、自衛隊に謝礼の言葉と同時に、複数回、書き、送り続けてきました。
捜索が開始されたときに備え、会社も早期退職して、日々、待機していたのです。


その甲斐あって、ようやく、捜索が再開され、行方不明者6名のうち、新たに犠牲者一名のご遺体が発見されました。
しかし、彼のように、再捜索を心底、希望されたのは、行方不明者の6家族のうち、彼ともうひとりの家族だけだったようです。と、言うのも、彼の息子さんが19歳で最年少。次の方が30代、あとの4名の方は、いずれも40代以上の方々で、二次被害にも繋がりかねない、危険を伴う再捜索には、あまり積極的ではなかったとのことでした。
結局、再捜索を切望したのは、彼と30代のご家族の方だけで、同じ行方不明者のご家族とも、目に見えない温度差があったとのことです。
彼の気持ちのほんお一部は先に書きました。
「一生かかっても、探し出す・・・」と彼は言っていました。
「もし、死んでいたとしたら、それはそれで受け入れるしかない・・・。でも、あいつをこのまま、ひとりで山に残すことだけは絶対にできない。・・・っていうか、母親の元に帰してやりたい・・・」
とても重い言葉だった。


再捜索で亮太くんの所持品(登山ストック)が発見された。捜索のプロたちは、それを基準に付近を捜索したはずだ。しかし、発見に至らなかった。これは、どういうことなのか。つまり、私は、彼がたてた可能性の存在を信じたい。彼はどこかで生存している。無念は希望に繋がったと考えることはできないのだろうか?


「捜索を打ち切るなら、それはそれでいい。だけど、だったら、自分たちで探せる権利を与えてほしい。今はまだ、亮太に、親として、何もしてあげることができていない・・・」
現場には、立ち入り禁止、規制が敷かれている。


昨年、開かれた「亮太を思う会」は「お別れ会」ではない・・・と彼は主張した。
その通り、葬儀では決してない。
私はこの件に関して、諦めも、区切りも必要ないと思う。第三者の軽い言葉かも知れないが、今、彼ができることの一つは、生存を信じることだと思う。
きょう、電話を入れてみよう。


ーーーーーネット配信記事ーーーーー


長野知事「無念だが継続できない」 御嶽山の再捜索終結
朝日新聞デジタル 8月6日(木)21時52分配信

昨年9月に噴火した御嶽山(長野・岐阜県境、3067メートル)の再捜索で、長野、岐阜両県は6日、すべての捜索活動を終結したと発表した。期間中、不明者6人のうち1人を発見し、この災害での死亡者は58人となった。残る5人は発見に至らなかった。
 長野県の阿部守一知事は同日夕、記者会見で「捜索はやり切った。(不明者の)ご家族の気持ちを察すると無念だが、新たな手がかりがない中、火山活動が続く3千メートルの高地での捜索はこれ以上継続できない」と説明した。
 両県は7月29日、昨秋以来9カ月半ぶりに捜索を再開した。山頂付近の重点エリアを1日あたり約120人で捜索し、山梨県甲斐市の猪岡哲也さん(当時45)を発見。不明者の所持品を含むカメラやストックなど40点以上も見つけたが、厚く積もった火山灰が山肌で固まり、難航した。


ーーーー以上ーーーー


私も信じる。諦めない。