少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2926 一期一会の最期

9/26-17

言葉にはできない、痛みや悲しみや後悔が存在する。
あの人の時も、この人の時も、あの人も、あの人も・・・
訃報を受けるたびに愕然とする。
どうして、学習しないのだろう。

(長文です。時間のある方のみで。でもサントリーと明大のラグビー関係者の方はできれば目を通してください)

私の部屋には、ある夫妻の写真が飾ってある。
彼らの結婚式の三次会。私が企画した、新宿のカラオケ屋でのツーショット。

私はまだ、明治の学生だった。
もし、私が中日新聞の試験に受からなければ、私は彼の経営する下北沢の居酒屋に就職する予定だった。

彼に初めて出逢ったのは19歳のデンバー

シカゴであった流れの旅人からもらった電話番号のメモが始まりだった。

それから、シカゴ、ニューヨークで彼と濃い時間を過ごした。

19歳から58歳まで、実に39年間。

今世でのお付き合いに昨日(9/23)惜別の日が訪れた。

 

安藤の行動派日記より、昨2016年のこと

8/15 彼の経営する下高井戸の居酒屋へ、京都からみえたFBFの河合さんと行く。

店にいた彼と話す。
「俺、明後日から一週間、伊豆の断食道場に行くよ。これで3回目。体脂肪も落ちて、あと一回行けば、もうほとんど、どこも問題ないって医者に言われたよ。安藤も行ってみれば」

8/17 安藤、足が悪化して横浜たそがれ病院に緊急入院。奇しくも、彼の断食道場と重なる。

8/21 名古屋の手羽先王・世界の山ちゃんこと山本重雄氏が大動脈解離で突然死。享年59歳。

彼を通じて山ちゃんとは3度お会いしたことがある。イラストのイメージとは別人のキャラ。
横浜病院から、断食中の彼に電話を入れる。伊豆は台風直撃で外出は不能。

葬儀は会社の代理人に行ってもらうとのこと。

「お互いに気をつけよう」と言われたが、気をつけようのない病。

8/25 安藤退院、そのまま名古屋へ出張 26 帰京。
8/30〜9/12 安藤 広州出張
9/13〜9/16 安藤 脊柱管狭窄症のため歩行できず都内ホテル泊

9/21 新宿駅構内で彼と偶然すれ違う。「これからアメリカに行く。

3店舗目の準備というか下見」と彼。ポートランドに出した2店がメガヒット。

さらに出店するという。
新宿から日暮里まで山手線で話す。本来なら世界の山ちゃんも同行の予定だった。

「安藤も気をつけろよ」と握手して別れた。

9/30 中国での臓器移植の関係者と渋谷で打ち合わせ。

10/3〜16 安藤NY出張

帰国後、彼に何度か電話を入れるが応答がない。必ず、その日のうちに着歴を見て返信をくれる。
特に用事があるわけではないが、そんな日がニ、三日続き、さすがに心配になった。

親しい関係者に電話を入れ、大手術を終え、入院中と聞く。

ただし、かんこう令が敷かれていた。
130店舗、従業員だけで2000人を超える規模のトップだ。騒ぎになる。

11/9 許可を得て、都内の病院に見舞いに行く。
手術は成功して、言葉も出る。想像していた何倍も元気そうで、嬉し涙が出た。

「やはりこの人は何があっても死なない」と確信した。

11/19 来日中の米国人医師と2度目の見舞い。前回よりさらに元気。凄いと思った。

2017年1月、彼の快気パーティに参加。もう完治されたと安心し、そして油断した。

4月から5月にかけてはゴルフができるまでに回復された。

私ごとを長々と書いてすみません。
使い古された言葉ですが、私自身の心と身体の一部というか、大きな部分をもぎ取られれたような感覚です。

享年62歳。

繰り返し書きますが、還暦の前後2年、58〜62歳の4年間は生命のターニングポイントです。

個人的なこと、ここに書かせていただいたもうひとつの理由は、彼のお店は京王沿線にあり、特に明大ラグビー部、サントリーラグビー部の一部の選手は彼に世話になった方もいると思います。
ですので、お知らせを兼ねさせていただきました。

冒頭に書きました「後悔」とは、いろんな意味での一期一会。
人生の半分の年齢を過ぎたのだから惜別が増えるのは自然の理。
私は悔しい。
彼が私にしてくれたことの、微塵も返すことができなかった。
なにもできなかった。