少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

2777 さよならタカシさん

ある意味、自身の親父の時よりもヘビーな葬儀。
親父は60歳、当方26歳。
当時、親父は現役の会社役員。

弔問者1000人を越す社葬も会社が一切を取り仕切り、家族は、最後の挨拶以外、何一つせずに済んだ。当事者なのにまるで他人事のように客観視できた。

 

昨夜の通夜。そして本日の葬儀。
今生の別れの儀式には、年齢相応の場数に遭遇した。
いつも不思議な時空の狭間を感じる。
現実とは思えない現実。
やはり、1000人を超える大勢の弔問者。

懐かしい顔と多数すれ違うも、かける言葉は互いに少。歯は見せない、眼を伏せる。
本当の悲しみと、嘘の涙が交錯する業界の修羅場。
最後の別れは彼の皮膚に触れたかったけど、露出は顔だけだから、布の上から手をさすった。

さようなら。
ありがとうとは言えないね、もらいっぱなしの39年。

 

一昨日は中国から医師。こちらは18歳から40年の付き合い。
渋谷の西村フルーツパーラーで夜9時にオサン2人でパフェをつつくおぞましい光景。

彼はチョコバナナ、当方イチゴ&ベリー。

キュートなウエスト女王、清楚なウェイトレスに

「僕たちホモじゃありませんから」と余計な一言を宣言して、オーダー。キモがられるだけのにどうして言うんだろ、昭和のこのハゲ二人。

 

昨日は金縛りで動けず、昼間のミティング2本キャンセルして通夜。

つつじヶ丘から明大前〜渋谷〜品川と乗り継いで大井町のホテル。

さらに、この日到着の中国組と合流して22:00〜24:00までデニズでミティング。

彼らもまた羽田から直行してシャワも浴びずに会議のビジネスマン。

 

ホテルの宿泊費6500円ケチるため、40年来友達のシングルルームに居候、板の床に掛け毛布無しで寝る。自宅と大して変わらないから苦しゅうない。

午前6:00からデニズで早朝ミティング3時間は有意義。それぞれの問題点を話し合うことで改善し、今後の指針を明確にした。

 

再び喪服に着替え、昨夜と逆コースでつつじヶ丘10:30。
享年62歳では爽やかな葬式はない。だから私は「生きる」ことを生業としている。
彼は、私の自宅の目と鼻の先にある代々幡斎場に運ばれ、そして灰になり、魂は星へ、骨は土へと還る。

私は、彼の霊柩車と二台のマイクロバスを見届け、ひとり京王線

 

再び中国人医師と新宿で合流、ビジネスの続き。二人で寿司をつまみ、喉が渇いたので、中ジョッキ2杯を飲むと、目が回る。

コーシーでも飲むか、という流れで、小田急のパーラー。オサン2人でパンケーキひとつ。

ホモのくだりはさすがにひかえた、と言うか言う元気がなかった。
医師が丁寧にナイフでケーキを半分に切り分けた。そう、外科医である。上手だね。

「安藤が眠そうだから、俺は早めに空港にいくよ」と予定より1時間早いリムジンで成田へ。当方はふらつきながら京王線笹塚下車。

定住20年目になるけど、はじめて駅から家までタクシー410円。本当に歩けず。

 

一応目覚ましセットして3時間爆睡で19:30起床、元気回復。もうひとつコーディネートしなければならないミティング。二者に連絡入れると20:15新宿西口交番前集合可能とのこと。時刻を見るとすでに19:45。当方が間に合うか?という問題。
5分でシャワ。5分で洗濯(着物と洗剤入れてスイチ入れるだけ)。5分で準備。すでに19:58。チャリで笹塚。自転車置場にきちんと置いて、20:06の汽車。これならお釣りが来る。
案の定20:13到着で一番乗り、やれやれ。

 

地下の居酒屋で2時間ミティング。これも有意義。

10月11月の中国コンベンション出展のスケジュールが決定。
昨年、このコンベンションで日本業者の不手際で120万円の負債を抱えた。挽回しないと。

再び笹塚。小雨の中、チャリで帰宅。
原稿を書けるうちは、まだ軽傷。
おやすみなさい。