少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3316 バシャールと般若心経

4/19-18

FBFのみなさま、おはようございます。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる」
清少納言枕草子の句。みなさまはこの句を思い浮かべる時、どんな風景を思い描きますか?
私は国鉄のCMで流れる奈良東大寺、あるいは比叡山延暦寺、または、国宝仁王門平成大修理勧進蔵王秘仏が眠り三万本の山桜が咲き乱れるという吉野山渓あたりです。

古の情景に得(体)も知れぬ望郷の念と、触れる(繋がる)憧れを、この霞の先にある新宿副都心に投写して、輪廻を待ち再び転生してきた時に、やはり、廃墟と化したこのビル群に、得も知れぬ望郷を懐かしむのだと思います。

さて、昨日、「心と魂、感情」の居場所の論理的な解説を投稿したところ、「難しすぎてようわからん」という豊田市在住の匿名希望トヨジさんより投稿がございました。頭からケムリが出てしまったそうです。

長くなりますので、覚悟を決めてください。

「般若心境」についてかきます。読まれて詰まらない場合には購読料はお返しいたします。

私はバシャールのような宇宙哲学に興味を持つよになってから仏教思想と宇宙哲学との繋がりを知りました。

仏門に降りたわけでもなく、師匠はYouTubeですので、浅墓な知識であるということを前提にお読みください。

私なりの解釈というか、YouTube師匠の受け売りですが、この処方は役に立つと思います。

『般若心経』とは釈迦(仏陀)の高弟の一人である舎利師(シャーリーシ)に対して、釈迦の一番弟子である観自在菩薩が釈迦の代わりに説いた仏説です。宇宙に繋がる小高い山中、切り立つ岩場の野外教室で、体育座りした若い僧たちに先輩僧侶が教えを説くという風景を思い浮かべてください。そんな問答形式が般若心境なのです。わずか262文字のサンスクリット語に秘められた人体と宇宙が寸分の狂いもなく同じ成り立ちで構成されているという論理的な解釈が3000年以上も前に確立されていました。

般若心境は宗教信仰ではなく学問だと捉えるのが正しい知識の方程式です。観自在菩薩は説法の中で舎利師に「こだわりとか、概念を捨てなさい」と繰り返し説いています。人間は概念の殻から抜け出さなくして、精神の進歩、心の安定はない、ということです。他者や社会と自分を比較することをやめなさい、ということです。

宗教ではないので、教えを信じろ、ではなく理解せよ。
「現実と真実を見つめ、見極めよ」
それが般若心境です。では和訳の一端を。

摩訶般若波羅蜜多心経』(まかはんにゃはらみったしんぎょう)存在が存在することの意味を説いたお経。

観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時(かんじざいぼさつ ぎょうじんはんにゃはらみったじ)

観音菩薩は「私は自身の存在する意義について、それはどういう意味があるのかという自問と向き合い、ついに一つの真実に辿りつきました」というツカミから始まります。「その真実について、聞きたいですか」と弟子たちに投げる。
弟子たちにが「よろしくお願い申し上げます」と応える。

照見五蘊皆空 度一切苦厄(しょうけんごおんかいくう どいっさいくやく)

「我々人間という存在は、肉体と魂(精神)によって出来ている実にちっぽけな存在である。故に私は、自分とは何かを知るために、この身と心のどこに自分が存在しているのかを確かめようとしたのです」
「しかし、肉体においても、あるいは視覚・聴覚といった感覚も、それを受けとる知覚も、意思や認識といったあらゆる精神作用すべて、どれを詳細にみても『これこそが自分である』というようなものを見つけることはできなかった。確固たる自分は、どこにも存在しなかったのだ。驚いたことに『自分』という実体は、実はこの世界のどこにも存在しなかったのである。その真実を知って私は驚きを隠せなかったが、同時に苦悩から解き放たれるような安らぎを覚えたのだよ」

舎利子(しゃりし)

「舎利子よ、私が知り得た真実とは『自分が存在しない』という驚くべき事実のことなのだ。わかるかい?」
「いえ、まったくわかりません、観自在菩薩さま。出来ましたら詳しく教えていただけませんでしょうか?」
「よろしい。それでは釈迦さまに代わり、私がお教えいたしましょう」

色不異空 空不異色(しきふいくう くうふいしき)

「まず私たちの体を詳細に観察してごらんなさい。身体は身体という固有のモノが存在するのではなく、原子という様々なものが互いに結びついて出来上がっていることがわかるだろう。つまり身体が存在するのではなく、いろいろなものが集まってできた物体を、私たちは身体と呼んでいるにすぎないのだ。身体だけでなくあらゆる物体は、それ固有の実体が存在しているのではなく、あくまでも何かが集まった『状態』にすぎないのだよ。不変の自分と呼ぶべきものはなく、すべて無自性、つまり存在していないのだよ」
「自分が存在していないと言われるのですか?観自在菩薩さま」
「そう、その通りだよ舎利子」
「よくわかりません」

色即是空 空即是色(しきそくぜくう くうそくぜしき)

「私たちが感じとるあらゆる物体は、固定的な実体がなく『空(くう)』という性質をもっている。存在を支配する根本の原理は、この『空』というこのなのだよ。あの空に浮かぶ雲をごらんなさい。一瞬たりとも同じ場所に留まることなく、絶えずカタチを変えて流れているのだよ。人間も同じだとは思わないかね。舎利子よ。
もしも固定的な物体が存在したら、その物体は何をどう加工しようとしても変化をしないことになるとは思わないかね。変化をしないから固定的な物体なのだが、そのようなものは、この世界のどこにも存在しないのだよ。どのようなものであっても変化をし、だからこそこの世界には多種多様な姿や形をしたものが存在しているのだよ、わかるかね舎利子よ」

これは、ほんの入り口です。なので購読料はまだいただけません。とうとうこちらまで頭からケムリが出て参りましたので、今日はこの辺で時間です。

本日もついてます、感謝してます。
昨日のテレ東「家ついてっていいですか?」はどうでしたか?
当方禁テレビ生活11日目。家ついてって以外、特に見たい番組もありませんけどね。