少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3337 昭和天皇陛下3

4/29-18

世が世であるならば、このような不特定多数読者に対する、宮内庁許可無き掲載は、憲兵隊により拘束の末、その掲載内容の如何に関係なく厳重注意の程になること覚悟の如し。承知の上で掲載させていただきました。

件の宗教病院、安藤ナースズNo3は沖縄出身の「な〜んとなく東京に行きたかった組」22歳。「チミは昭和天皇が沖縄に慰問に行きたかったけど、諸事情で行けなかったことを知っとるかん?」
の問いに「知らんけど、来なくて正解。来たら殺されてたかもしれないよ。だって、うちのばーちゃん、すっごい憎んでたよ。ソーキそば作りながら、そう言ってたもん・・・」

まあ、これが、ごくごく一般の戦争体験世代の反応でしょう、沖縄は特別。広島、長崎と同様に、激戦地にされ、大量の一般人が巻き込まれ殺戮され、戦後も置き去りにされ、沖縄の人から見れば日本に見捨てられたという被害意識があり、その根源は天皇であるという潜在意識が、広島長崎と、やや異なる感情として根底にあることは理解の範疇です。

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それはひとつの問題として、とりあえず横に置かせていただいて、自身の頭を整理する意味も兼ねて、日本における独自の天皇制について書かせていただきたいと思います。

我が幼少の頃は、祝祭日を「旗日」と呼び、玄関先への国旗掲揚は、当家の男子、しかも年長者が司るという風習が日本各地でありました。

旗の先につける金の玉をキンタマと呼び合い照れる少年時代を過ぎ、「おい、今日は彼女、旗日らしいぜ」という隠語が理解できる青年期に入ると、やがて旗を出す無邪気を離れ、それは年老いた親父の役目になり、その老いた親父が他界した段階で、国旗掲揚の風習が廃れるという愚習慣が、この国を赤く染めだしたような気配を感じます。

さて天皇について書かせてください。

天皇とは、そもそも、というところからですが、初代の天皇は「古事記」に登場する神武天皇です。
その神武天皇から数えて昭和天皇は第125代目の天皇で、昭和四年生まれの安藤母は、我が幼少時代に歴代天皇をすらすらと諳んじておりました。と、申しますのも、当時の尋常小学校では、それが生徒全員に課せられた要項であり、当然ながら子も親も何の疑問もなく、その要項に従い、天皇を敬うとともに、暗記して脳味噌を柔軟にする訓練とされていたとのことです。

その神武天皇は、天照大神アマテラスオオミカミ)の子孫ですあると古事記が伝え、神武天皇の即位は2700年前になります。

天照大神とは、神道で、数多くの神々の存在を総称していう八百万神(やおよろずのかみ)の中でも一番中心となる太陽神のことです。

つまり天照大神の子孫が神武天皇であり、神武天皇の子孫が昭和天皇であるわけでですから、昭和天皇もやはり、天照大神の子孫、太陽神の子孫ということになるのです。

実際、文献上の初見は「古事記」上巻の「天(あま)の岩戸」の段にある「八百万神、天(あめ)の安(やす)の河原に神集(かむつど)ひ集ひて」であすが、ここは飛ばしましょう、トヨジさんが煙出して倒れたら困ります。

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もっとも、2700年前のお話ですから神話と呼ぶ人もいます。信じる信じないはあなた次第です、という人もいます。しかし、文献を始め、証拠物件と科学的に呼べる品々の出土も一方であることを忘れてはいけません。

証拠のひとつとして「古事記」では抽象的な神話の世界が描かれた前半部分は「神代(かみよ)」と表記されていますが、物語が現実的になる後半部分を「人代(ひとよ)」と表記されています。で、その境目に誕生するのが、初代天皇神武天皇ということになり、つまり、天皇が登場するところから「人の世」になるというわけです。

つまり、天皇とは太陽(天照大神)を中心とした「神々」と、我々「人間」の間に存在し、その2つの世界をつなぐことが役割りであるのだと「古事記」は伝えているのです。

ところで、2700年前の神々とは、いったい何であったのかと言う疑問が生じます。答えは「自然」です。農耕民族の日本人は、生きるために、水と種を生命と考えました。説明不要ですね。日照りが続けば雨乞いをして、漁に出ては魚を捕る。そして自らが生命を得るために生命を落とすこともある。人々は自然に平伏し、自然を敬い崇めて祈りました。

つまり森羅万象こそがすなわち神。

そして人間も自然界の中のひとつという位置づけに基づいて、神武天皇は、自然界から派生したはじめての人間、つまり人間の代表という立場である旨が「古事記」には記されています。

人類がどんなに進歩したところで自然には勝てません。あたりまです。神なのですから。つまり人間は自然(神)と対立する関係ではなく、自然の一部として存在するという認識が必要で、皇室に於ける天皇陛下の御公務には数多くの司祭行事があり、これこそが人間界と自然界(神代)を繋ぐ行事なのです。

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天皇は神である」(現人神=人の姿で現れた神)と言われる時代もありました。しかし、戦後、正確には1946年(昭和21年)1月1日に官報により発布された昭和天皇詔書にて『新年ニ當リ誓ヲ新ニシテ國運ヲ開カント欲ス國民ハ朕ト心ヲ一ニシテ此ノ大業ヲ成就センコトヲ庶幾フ』の当該詔書の後半部には天皇が現人神(あらひとがみ)であることを自ら否定したと解釈される部分があり、「人間宣言」をされました。
(ただし、正確には「人間宣言」という文言は一切なく当時のマスコミや出版社が付けたもです)

そして、宣言通り、昭和天皇は日本全国津々浦々まで、慰問の行脚を行いました。写真の通り、平民を訪れ、戦没者、遺族に深々と頭を垂れ、お悔やみと労いの声掛けを時間と体力の許す限り皇后陛下と続けたのです。

125代に至る、どの天皇にも、時代時代の苦悩があったはずですが、やはり我々の時代、「ポツダム宣言」無条件降伏を受け入れざるを得なかった昭和天皇の心中は測るに知れません。

そして、唯一、沖縄にだけ慰問に行けなかったという事実が、無念として残り、旅立たれたのです。

安藤ナースズNo3に言いました。「よかろう、わしが沖縄に行こう。ばあちゃんに事情を説明する。案内してくれ」
「あ、ばあちゃんね、もう居ないすよ〜。生きてたら、そう〜だな〜100歳超えてっかな〜」
「おい、それってばあちゃんじゃなくてひいばあちゃんじゃないのケ?」
「なんすか?ひいばあちゃんって?あのなんか、超辛いスナックみたいなやつ?」
「マジか?」

おひまい。

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