少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

3912 天ぷらdeベースボール

4/26/18

というわけで、本日のランチはテンプ〜ラ〜。

野球で飛球のことをテンプラと言いますがトンカツとは言いません。ど〜でもいい話です。どちらも揚げるフライなのに、だったらケンタッキーでもミスドでもいいんですけど。これはゴルフのミスショット。高く上げ過ぎた打球の俗語で、ゴルフ好きの野球解説者が洒落て言っただけですが、タイガーウッズにオオ〜テンプ〜ラ〜と言っても通用しないし、そもそもタイガーはテンプラを打ちません。

私は小4で名古屋の割烹に出入りして、それこそ皿洗いからはじめました。もちろん長期休暇のみですが。
で、小5、小6の時は天ぷら長に任命され、テンプラ定食、天丼係を任され、油ものを担当しました。

天ぷら職人さんには失礼ですが、簡単です。
なんせ、天ぷらそのものには味がない。決め手はコロモと天つゆと素材と油の質、それだけ。つまり、カウンターでない、調理場では、定食程度の天ぷらならガキでも間に合うということ。

コロモ、天つゆ、素材、油、温度は全て板長がやるので、私は注文が入れば火を調節して、教えられた通りの手順で揚げるだけ。まさか小学生が挙げた天ぷらとは誰も気づくまい、みなさん残さずよう食べてくれました。

その時の経験を生かし、シカゴ時代は日本料理店でバイト。ランチタイムに2時間で200〜300本の海老と野菜を天ぷらにして、40枚のトンカツを揚げる。2つの温度調節可能なフライヤーを使うのですが、気が触れたような状況でした。
60席が2.5回転。私の担当は天ぷら定食、トンカツ定食、アンド天丼(はタレをかけるだけ)、カツ丼は煮こむので別部隊が担当。外はウエイトレス4人〜5人。中は板長と私とメキシカン2人で切り盛りですわ。

で、野球の話ですけど、どうしてフライをあげてしまうのでしょうか?転がせば、イレギュラーとかエラーと野選とか、攻撃側の有利の方が明らかに大ですよね。でも高校生とかヘボチームはここ一番で打ち上げ花火で終わるんですよね。

な〜んでか?一言でいうと打者が下手くそであり、投手はそれを狙って投げてるということです。

打者の目標としては投球を真芯で捉えることですが、厳密に言うとわずかに違います。

バットの運動エネルギーがボールに一番伝わりやすいのは「中心衝突」です。それは、ボールの軌道とバットスイングの軌道を一致させることで実現できます。俗に言うレベルスイング。

俗に言うダウンスイングで上からボールを叩くと、飛距離においては伝道エネルギーを失います。ボールの上部を叩けばボールは上がらず確実にゴロになります。

逆にボールの下ッ面を叩けば、ボールは回転による空気抵抗を受け、ポップフライにしかなりません。

遠くへ飛ばす要素で一番大事なのは、打球の角度と初速(ヘッドスピード)です。スキーのジャンプもこれで飛距離が決まりまます。
これを実践するにはレベルスイングでボールの中心の5㎜〜7㎜程度下を叩くことです。これを理論的に実践したのが落合博満です。

落合はみなさんが喜んでやるティーバッティングをバカバカしいと言って一切やりません。
まず、ボールが実践ではあり得ない角度で来るので逆にフォームを崩す。どうしても防球ネットを目掛けて打つので、ボールの上っ面を叩くクセがついてしまう。長距離打者は常にボールの中心からやや下を捉えるべきという理論に反し、実践的ではなく自己満足に過ぎない練習、ということで、悔しいけど実に理を得ています。

次回、機会があれば、プロの打者のくせに、江川や大谷のような豪速球だけど、顔の高さに来るクソボールに、どうして手を出してしまうのか書きますね。

ちなみにですが。1983年5月25日の阪神vs中日戦(甲子園)で中日先発の高橋三千丈投手(明大)が完封勝利。この試合ではゴロや振り逃げ失敗などによるアウトが1つもなかったため(ゴロによる安打は3本)球界史上初となる無補殺完封勝利となりました。私はこの試合をラジオで聴いておりました。この記録は未だに三千丈さんだけです。

あれ、天ぷらの話でしたよね。ごめんなさい。

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コメント

 

カワイさん「高橋さんの試合は現地観戦でした」

裏総理「おお、それは貴重だ〜ブラボーです」

カワイさん「チケットの半券まだ残っていると思います。家帰ってからアップします。当日のチケットです。この頃は内野席で応援していました。記録は翌日のスポーツ新聞で知りました」

 

クニアキさん「高橋、鹿取の2枚看板 江川抜けた後の6大学の主役でした。4番百村がもう少し期待通りの活躍してたらな」

裏総理「田中さん、詳しいですなぁ〜。岡田彰布が3年か2年ですか?」

クニアキさん「私が1年時に法政黄金時代の最後、江川、袴田、金光、植松、島本 明治3年に高橋、鹿取 早稲田4年に佐藤、山倉 2年に岡田でした。岡田は鹿取をカモにしてた記憶あります。天理の大型4番百村君 来てほしかったけど明治に取られた。その次の天理4番鈴木康友は早稲田進学濃厚でしたがミスター直々のスカウトで巨人に。という学生時代を送りました。岡田が神宮で放った20本塁打のうち15本は生で見たと思います。6大学全校歌歌えましたね、当時は」

裏総理「すごい!となると、慶応の1年が青島健太、千賀くんあたりですか。僕の安城北朝鮮中学の同期が、健太さんのいっこ下で慶応のショートで鈴木吉之といいます。3年からベンチにいたと思います」

クニアキさん「安藤 貴樹 さん まさしく!慶応1年鳴り物入りで入ってきたのが甲子園でサイクルヒット打った土佐の玉川、中京の4番でエースの千賀でしたが WHO?という埼玉の公立高校出身の青島健太氏が一番活躍しました。3年には堀場(丸亀商業→確かプロ入りしたはず)というキャッチャーがいました。法政の黄金時代が終わったと思ったら西田(広島)木戸(阪神)というPLのクリーンナップが入る、翌年にはその西田、木戸を3番5番に置きPLの4番を張ってた小早川も法政に入りました。早稲田は期待の荒木大輔の兄さんは目が出ず、早実で4番を打ってた川俣は中日に取られました。早実1年で4番を張ってた阿倍君というワンちゃん依頼専用ネット(飛球がグラウンドを飛び出してしまうため)が作られた選手がいましたが1年の時にバイク事故で亡くなりました。 昔のことはよく覚えてます」

裏総理「東海大に原、石井、中央に小川淳司ですね。駒沢、亜細亜はあまり記憶にありません。岡田彰布がよく早稲田界隈を走ってました。カッコよかったけど、プロに行って股裂事故あたりから、変な顔になりましたね」

クニアキさん「駒沢は二宮、平田(?)中畑の三羽ガラスが卒業したところでした。3年に石毛がいました。練習用のキャップに<完全燃焼>って書いてあるのがかっこよくて就職試験の時の好きな言葉にいつも書いてました。東海はそうです 原、津末、市川。東洋には松沼兄弟がいました。岡田4年の時の神宮大会では中央にボロ負けしました。中央応援席から「ホームラン、ホームラン小川!」のコールが聞こえて、それ誰やねん!!と思ってたらホントにホームラン打ちました」

裏総理「chamy-bonny.hatenablog.jp/entry/2017/08/14/083330」

クニアキさん「金光とともに法政に入った甲子園優勝投手の佃はほとんど出番なし、その後に入学した坂本も法政では活躍できませんでしたね」

裏総理「そう、津末いましたね、原より凄かった。平田といえば明治に勝男くんが入りましたね」

クニアキさん「安藤 貴樹 さん 少数派日記 関連記事の日記読みだしたら止まらん、オモロイ」

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クニアキさん「ありがとう〜ございます」