少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4047 一日を生き抜くこと

5/9/17

おはようございます。
今朝、チベットの件でシェアした投稿の中から、この写真を抜粋しました。ある方の投稿で判明したのですが、これはチベットの問題と関係がない、2007年にベトナムで撮影されたものだそうです。それはBBCの記事に書かれていましたので、間違いないかと思います。チベット問題とは別次元の問題として、SNSは朝日の南京事件の捏造と同様の捏造の温床となります。
私のようにシェアを重ねる段階で、どこで意図的な捏造が行われたのか、それは法的に犯罪ではないので、追及に意味はないでしょう。

私が伝えたかったのはそこではありません。
昨日、私の職業は「生きる」こと、と書きましたが、これはもう10年以上、言い続けていることですので付け焼刃ではありません。
本日で入院30日目ですが、毎朝、20分ほど眼を閉じ、瞑想の真似ごとを試みます。
最初は宮本武蔵の心境で無になり宇宙に溶け込むことをイメージしますが、それはおそらく到達の境地で釈迦の域でしょう。
煩悩を棄てることを意識しますが、意識してる時点でアウトですね。瞑った瞼から薄明かりが濃くなり、地球の自転により太陽との距離が動いていることが、動物的に感じられます。
瞑想とは無の境地ゆえ、そこに集中力が介在してはいけないと思うのですが、何度も背筋を伸ばし、垂れた頭(こうべ)を持ち上げるのです。

そして少しだけぼんやりと見えて来たものがあります。
きょう一日をどんなふうに過ごすか、という、人生設計ならぬ一日設計です。具体的ではありません、極めて抽象的です。
ただ流されるのではなく、意志を持って流される。そうすれば、結果として辿り着いた場所が同じだとしても、次へのステージが格段に違うように思えてくる。自分自身が今現在の平和に溺れていることに容易に気付く。

写真の、おそらく兄妹は遠い国の知らない人々ではなく、同じ地球に住む過去、あるいは未来の自分の姿。
輪廻を繰り返すとしたら、人は偶然ではなく、自身の魂の選択により現在の自分のボディと環境を選んで今生に来た、と。私は、その説を信じます。自分で選んだ自分ですから、自分と他人の比較に興味はありません。

人生というか、自分自身の今日に勝ちとか負けとかあるとしたなら、結果よりも、最善を尽くすことができたか否か、焦点はそこだと思います。長渕アニキが唄う♫ 俺か俺じゃねえかで ただ命懸けだった ♫(西新宿の親父の唄 より)。媚びない!

コブクロは唄います。♫ビルの谷間に 埋もれた夢も いつか芽吹いて 花を咲かすだろう 信じた夢は 咲く場所を選ばない♫ (蕾より)
「信じた夢は咲く場所を選ばない」
私は逆説だと思います。輪廻的に言えば、「信じた夢は咲く場所を選ぶ」ゆえに咲く場所を探す、あるいは探し続ける。結果として咲く場所を見つける。ストリート出身のコブクロ自身がそうであったように、路上ライブの時代から、ステージはいつも武道館だと設定したパフォーマンスを続けていた。

例えばユーミンダンデライオン
♫風にのり 飛んできた 儚い種のように 愛はやがてくる 冬を越えて行く ♫
風に乗って飛んで来た、タンポポの種でさえ、偶然ではなく、ちゃんと着地点を選んで咲いているのではないかと、そう思います。でなければ冬は越せない。

今日一日を生きることは、難しいことではないけど、簡単なことでもない。

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