少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4060 病と煩悩

5/10/18

FBFのみなさま、おはようございます。
雨上がりて、されどいまだ雲多き曙のTokyo・・・
そんな感じの5月10日木曜日。

昨夜は22:30に就寝して、今朝は3:00に目覚め、そのままです。
「病は気から」という言葉は半分本当だと思います。
たとえば、切断した足が痛むとかは物理的にあり得ないのですが、これは脳の誤作動によるものだとされています。

その伝で言うと、私のこの厄介な耳鳴りも、脳の誤作動だとスピリチャルな方々は申しますが、そうである可能性も否定できません。

逆にそうであれば、何かのきっかけで消えるかも。たとえばすべてのストレスが私から消えた瞬間とかに。

そうです、どんなに医学的治療を受けていても根治しなかった難病が、ある日突然、たとえば癌細胞が消滅したなんて話、もう日常的に聞くようになりました。

午前3時から眠れなかったのは、脳味噌が活動していたからです。いろいろと考えるのです。

つまりは煩悩。こいつのせいです。

108の煩悩と硬球の108つの縫い目。

地球の公転運動(太陽の周りを回ること)がラグビーボールと似た楕円周であること。

偶然というものは世に存在せず、全ての出逢いや現象は必然であるという必然主義者の安藤裏総理ですから、謎が解決するまで眠れません。つまり謎だらけで永遠に眠れないということです。

では、108の煩悩ってなんだろう?
トヨジさんは考えたことがあるのかぁ。

よく勝利インタビューで「無欲の勝利です」て聞きますよね!
あれ、絶対にあり得ないというか、言葉の使い方間違っています。

トヨジさんはよく釣りに行きます。
アジを釣りに行ったら、たまたまタイが釣れました。
「おう、たまたま糸垂らしとったら、タイがつれたわ。まさかまさかビックリだわ」
一緒に船に乗った、あんまき市役所の憂国の士・高木課長が羨みます。
「なんで、お前だけ、タイが釣れるだぁ?」
「釣る気、あ〜へん(無かった)かったけど、なんやようわからん、勝手に釣れとったでがんわ」
「なんや無欲の勝利いうやつか?」
「まあ、ほだな〜(そうだな)」

違います。

まず、釣りに行った時点で「無欲」ではありません。「欲望」の塊です。
トヨジさんがよく言います。
「サカナは釣りに行くより、スーパーで買った方が安い」
確かに金銭的にはそうでしょう。ガソリン代、高速代、餌代、船賃、宿代、酒代を使って尾鷲や沼津まで行ってアジの5匹や10匹では経済観念の破綻者です。しかし、もしかしたらタイやマグロ、時にはクジラとか引っかける期待があるから行くわけで、「たまたま」というのは単なる照れ隠しと、高木課長に対する生類憐みの令発令ということです。三河人の奥ゆかしさでもあります。しかし「無欲」ではなく、あきらかに「貪欲」の類いです。

野球もラグビーも同じで勝利に対して貪欲でなければ勝てません。勝利という欲望を貪る方に益は傾くのです。

正解は「無欲」ではなく「無心」です。
「無心」になれるかどうか、これに尽きます。

投手の投球、打者のスイング、ラグビーのPG、脳に邪念が入り込み、筋肉に誤った指令を出した時、プレーヤーは「余計なチカラが入ってしまった」というコメントを残してベストパフォーマンスのチャンスを逸するのです。
つまりは心頭滅却、これすなわち煩悩を消し無心の境地に至る極意なり。
無理ですね、常人には。
私の知る限りでは宮本武蔵さんくらいでしょうか?
心を無にすると、武蔵さんのように飛んでるハエを箸で捕まえることが出来ます。ちなみにバロン吉元先生の男柔狭伝の中の囚人で、名前は忘れましたけど、自分の鼻毛を抜いて、飛んでるハエをプチプチと串刺しにしている人がいましたが、あの人も凄かったです。

ブルペンエースという投手がいます。打者がいないブルペンではONでさえ打てないすごい球を投げるくせに、いざ本番のマウンドに立つと緊張のせいか萎縮して、ブルペンと同じ投球ができずポカスカ打たれる残念な投手です。いっぱいいます。よく度胸がない、とかガラスの心臓とか揶揄されますが、これも煩悩だと思います。

煩悩とはすなわち、人間の苦悩を生み出す精神(脳)の働きである。
されど、それを滅することにより、成長と進化をもたらす現世で万人に与えられた宿命(宿題)であるのです。

大切なお話につき、次回へつづきます。

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コメント

マサヒロ中原さん「ほんと「ブルペン・エース」がいたな。ピカイチなんだけど、実践マウンドに上がると実力の半分もでてない。僕のへなちょこ玉が通用したのにね、ライバルながら同期としても歯がゆいことだったかな。そう、メンタルの課題。もう40年も前のことだから、当時は科学的な理論でそういった面を取り上げられてた記憶はないかな。でも、今でもそうだけど、「思考的工夫」が大切だと思う。ただ単にやっててもね。自己分析なくては、自身の課題への回答は得られない。努力の方向性を間違えてると、堂々巡りがずっと続いてく。そうなると成果も得られないし、あきらめてしまうのかな。もったいない。せっかくの素質を活かしきれない。それも実力のうち、とされてしまえば、ね。勝負に大切な局面で、そこに自分なりの思考をどこまで組み込めるか。結果は必ずしも期待するものとは違うかもしれないけれど、あとにつながるはずさ。球に魂を込める、そんな気持ちで投げてたかな。「この一球で凡打してくれ!」ってねw ゆるくて(打ちに来るからね)凡打するような球を投げ、野手が取りやすい打球を打たせる、なんてことを考えてたかな。打者の目を見て気持ちを感じたり。だから。ブルペンでは見ごたえがない。僕の投球はごく普通のもの。でもマウンドに上がるのは、実に楽しかった。打者との駆け引きが好きだった。高校時代の3年間で1本だけ本塁打を打たれた記憶は未だに忘れられない。それだって打ち取ったと思ったら、風でふらふらとスタンドインw がっくりしたな・・・」

裏総理「

ATIブルペン受験生がいたな〜そういえば。
メンタルとか度胸てのは、ある意味、自己暗示。
圧倒的な練習量があって、それは自信の裏付けにはなるけど、そこそこの力量同士の鬩ぎ合いだから、紙一重の差の中でやるわけで、不安が勝れば手が縮こまる。
打たれるシーンをイメージするか、抑えるシーンをイメージできるか、やはり最終的に脳が司令を出しているんだね。

でも、相手があるスポーツは相手も同じこと考えてるから、打者が失投を凡打するケースもあるし、運不運も時としてある。

究極のメンタルスポーツはやっぱりゴルフだろうね。
あのトッププレーヤーたちの集中力とか、精神力は凄いと思うよ」