少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4483 幸せ、とは

6/17/19  入院5日目

おはようございます。
病窓から見える高級そうな白い箱。

今は到底無理だけど、現役時代ならノーバンは無理としてバックホームでギリ球が届く距離。
ところで、あの箱の中にいくつの幸せがあるのだろう・・・か?

 

「麗子さん、どうかしたの?またお兄ちゃん、何か変なこと言った?」
「ううん、違うのよ、さくらさん。私ね、羨ましくて。だって寅さんの家、毎日、みなさんで、こんなに賑やかに食卓囲んで。私なんか、来る日も来る日も、この子とふたりだけの食事なのよ。今日は来てよかったわ。こんなに楽しい夕食なんて、いつ以来かしら」
「そうかいそうかい、そりゃよかった。こんな粗末な食事で良かったら、いつでも来たっていいんだぜ、なぁおばちゃんよ〜」
「なんだい、粗末で悪かったわね!」
一同笑笑!
「そうね麗子さん。でもね、こんな日常にありふれた家庭の団欒も、日々の積み重ねってとても難しいのよ。だってほら、お兄ちゃんなんか、気がつくとふら〜て居なくなっちゃうでしょ」

 

「そうなんだよなぁ〜さくらさん!」
「あら、安藤総理。どこから入ってきたの?」
「いや、とらや(高木屋)でダンゴ食ってたらさぁ、寅さんの声が聞こえたもんでつい」
「あら?」
「でね、俺のベッドの隣の爺さんがさ、しきりに話しかけてくるんよ。離婚して30年、風呂なしアパートで独居老人74歳。44で離婚してからずっとひとり。心臓にステント14本、もうこれ以上手術できないってサ」
「まあ、それは大変ね」
「でね、今さらだけど、罪ほろぼしにいろいろボランティア活動してるらしいけど、心臓がもう悪くて入退院の繰り返し。『アンタ、前もこの病院に居たろ。同じ部屋だったんだ、俺覚えてる』なんて言われてさ」
「うん、それで」
「でね、その爺さんだけど、この病院ですでに二度心肺停止になってよ、心臓マサジで蘇生されたんだと。医者から次は本当に死ぬよ、なんて言われて、看護婦からはさ、もう最後かも知れないから、別れた奥さんと娘さんに連絡した方がいい、なんて言われたそうで、いや、俺もね『絶対そうすべきだよ』って言ったんだ」
「そしたら?」
「うん、そしたらよ、『絶対にやだ、会いたくない』っつうんだよ。『いやね、いいかい爺さん。仮にアンタが会いたくないとしてもだよ、14の思春期で別れた娘さんは会いたいと思ってるかも知れねえだろ。30年ぶりに会う実のおとっさんの顔に、白い布が被せられていたなんて、シャレにならねえじゃねえか』俺、爺さんにそう言ってやったんだ」
「うん、それで爺さんなんて言ったの?」
「なんでもね、以前にも危ない時があってよ、爺さんの姉さんだかなんだかが、娘に連絡入れたんだとよ。『いよいよ危ねえから生きてるうちに親子なんだから一度会わねえか』って。そしたら娘がなんて言ったと思う?『父と思っていませんら、会いません。電話ももうしてこないでください』だってよ」
「あら〜、まぁ〜それは気の毒ね」
「そうだろ、おばちゃんよう。オラぁ爺さんの話聞いててよぅ、こりゃ他人ごとじゃねえな〜と思ったんだ」
「そうよね〜お兄ちゃん、じゃなくて安藤総理」
「でね、オラぁこう言ってやったんだ。『爺さんよぉ、何があったか知らないけど、当時の娘さんはまだ14のガキじゃねえか。思春期のガキなんてさ、まだ分からんことばかりよ。奥さんに洗脳されたとて、今は44だろ。自分が親になれば、きっと親の気持ちも理解できるはず。小さなボタンの掛け違いでよぉ、実の親子が今生で生き別れっつう話は良くねぇ。いますぐに自分で電話かけてやんねぇ。オレの電話カケホ〜だから良かったら使ってくんない」
「で?」
「そしたらよぉ爺さん『旅の衆、ご親切にありがとうございます。でも自分はもう、独りで死ぬことに決めてますから』だとよ。そう言われちゃよぅ、もうこれ以上言えやしないやね。次は自分の番かも知れねえし」
「自分の番だなんて、やっぱり可笑しいわ、寅さんったら」
一同笑笑。

 

「いや、拙者は安藤って言うケチな流れモンです。生まれは武蔵の国は境、幸せな家庭を求道する流浪一族のカシラですw」
「あら、素敵なお方。ねえねえ寅さん、私に紹介して」

・・・なんてことになってればさぁ、麗子さんだって孤独死に・・・。

あの白い箱の中にいくつの幸せがあるのだろうか?
英国の文学者ジョージ・ムアはこう言った。
「人は自分の欲しいものを求めて世間を巡り、そして家庭に帰った時にそれを見い出す」
サザエさんじゃないけどGWで海外旅行から帰った時の家庭の安堵感ってやつ。これを日常、茶飯を食べるようにしろと。うん、納得。

一方で同じく英国の劇作家、バーナード・ショーはこう反論した。
「家庭生活は鳥籠がインコにとって自然ではないように、我々にとっても自然なものではない」
なるほど、これはこれで至極納得だ。

私に言わせれば、あちらのピカピカの白いビルの人も、こちらしなだれた白いビルの人も痛みなく生きていれば、それを幸せと呼んでいい。手のシワとシワを合わせて「幸せ」南〜無〜ということだ。

本日もついてます。感謝してます。

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