少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4494 死者のベッド

 

6/18/19

死者のベッド (閲覧注意 R18指定です)

戦場の次に、生者と死者が交錯する場所だからそれは仕方ない。

ここ四階(死階)病棟には14室しかない。

個室、2人部屋、そして私の居るタコ部屋6人、おっとタコにはベッドが2つ足りないか。

仮に満床として50人くらいの患者数だろうか。
シベリア抑留、アウシュビッツ収容所、海上自衛隊の潜水艦隊員用ベッドを映像で見るにつけ、このタコ部屋の空間とて実に自由で有り難いことかと心から感謝している。
一般患者が入退院を繰り返す際は、ヘルパーさんが手際よく、チャチャっとシーツを替えて、何事もなかったかのように、次の患者を迎え入れる。

これが繁華街の愛を育む場所となると、シーツ以外に風呂場やトイレも清掃して、最後に枕元に愛を込めてなんやらゴム製品を置き忘れないように設置する。

終電時間を逆算して会社帰りの老若男女が時計を気にしながら、シーツ交換の時間にヤキモキする。

これはあくまでも想像だ、垣間聞いた情報を元にした創作だが。

では病院。死者が使ったベッドはどうするのか?
これは想像だが、おそらくなんらかの儀式めいたものをするのだろう。シーツ交換だけではなく、何かあるのだろう。死者が運び出されたあと、廊下にポツンとベッドが置かれている。

病院だから、自分が寝ているベッド(マット)には、かつて生から死へと転じた者たちの記憶が残されていたとしておかしくはない、というか、むしろそれが普通である。確率は極めて少ないとしても、例えばリッツカールトンのスイートルームのベッドとてその可能性はゼロとは言い切れまい。

あんまき高校の恩師松ちゃんは北朝鮮で過ごした幼年期、敗戦で逃亡生活の際、雑魚寝状態で隣で寝ていた見ず知らずの女性が朝になって氷のように冷たくなっているのを背中から伝わってくる体温で知った。

「おそらく6時間くらいは死体と寝てた」と松っちゃんは教えてくれたけど、恐怖とか気持ち悪さなど全くなく、ただただ腹が減っていた、と振り返った。

病院も、きっとそんなところだ。患者は生きて帰ることと同時に死して帰るというのも、残念だが前提のうち。死者のベッドがどうしたという神経質はここでは笑い者になる。人は必ず死ぬ。

昨日は涙する老婆を3人の女性が励ましていた。

夕暮れの小さな待合場。低くて古いテーブルを挟み、昭和レトロのスプリングが飛び出そうな年代物のソファ。3人掛けが横に2つ。でも4人の女性が腰掛けるといっぱいいっぱいだ。

昭和の家具は、今こうして見るととても小振りである。

私は反対側に座し、小田原の蒲鉾屋の主人と世間話をする。

主人も80の歯を超え、蒲鉾の売れ行きの悪さを嘆く。

右耳は聞こえない故、左に受話器をあて、視線はテーブルの先の四人に注がれる。女性はおそらく80代、孫と思わしき女子高生がお婆ちゃまの手を握る。娘のような女性は40代後半か。それも2人。姉妹か従姉妹か、そこまではちょっと。

やがて看護婦が呼びにくる。「ご用意ができました」
3人の女性が老婆を支えるようにして立ち上がる。

よろよろと、よろよろと、4人は姿勢の良いナースの背中に従い歩く。部外者の私も習性で、蒲鉾屋の主人の電話を維持したまま、のろりと後を追う。

4人が入った病室に、続々とナースや医師たちが入れ替わる。私はそれを遠目で観察して、電話を切る。

タコ部屋に戻り、締切日を過ぎたゴルフの原稿を書く。今回のテーマはモンゴルでゴルフ。

中国人の医師からの情報提供だ。原稿には書かなかったけど、モンゴル人の平均寿命は男性で66・02歳。日本の年金問題、隣のベッドの独居爺さんを考えるにつけ、どちらが幸福かなど、測るスケールは地球に存在しない。

病室での別れのセレモニーが終わり、夕飯を終えるころ、シャワーに行くと、死者のベッドが廊下にあった。無造作に。
つい先ほどまで、息をしていた人間が身を預けていたベッド。次に生者がくることは紛れも無いことだが、マットは再び活躍する。

どんな浄めを受けるのだろうか?興味はあるが、聞く勇気はない。きっとここでは答えてくれない。少し酒の入った場所で関係者に尋ねてみよう。

写真の腕のアザ。入院日に気がついた、というか出来た。まったく見に覚えもなく痛みもない。6日間も消えないまま。そんなことが、私の身体にはちょくちょく起こる。軍人病院の時は背中に引っ掻かれた傷が太く三本。3ヶ月くらい消えなかった。個室にいた時は夜中にお婆さんが来たこともあった。怖いと思ったことはない。人は必ず死ぬからね。

消灯後、突然、コードブルーの館内放送が流れた。私も駆けつけた。心臓マッサージを受けながらストレッチャーで運ばれる患者を見た。トイレで倒れたらしい。ヘルパーさんがトイレの清掃に奔走していた。吐血か?ドクター、ナースがICUに集まり、ナースが廊下を走る。私は遠目で見守るしかない。ナースセンターではナースが家族にすぐに来るようにと緊急の連絡をし、医師たちが懸命に延命措置を施す。

しばらくすると家族が駆けつけ、夕暮れに、あの老婆たちが座っていたレトロのソファに腰掛け、待機していた。遠目だから足元しか見えなかった。

私がゴルフの原稿を書き終え、現場に戻ると、家族の姿はなく、ものものしかった医師団の姿はもうそこにはなかった。霊安室に行ったのか、手術室に行ったのか、それはわからない。私は校了した原稿を編集担当者に送信した。

実話だよ〜。

本日もついてる 感謝してます。

f:id:chamy-bonny:20190618205757j:imagef:id:chamy-bonny:20190618205809j:image

f:id:chamy-bonny:20190618205842j:imagef:id:chamy-bonny:20190618205853j:image