少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4742 真冬の若狭にて

7/10/19

FBFのみなさま おはようございます。
私的近況投稿につき、深い意味もオチもございませんが、感謝の気持ちでいっぱいです。
長文につき、お暇な方限定でお願いいたします。

『真冬の若狭にて』

昨年12月6日に腸腰筋膿瘍という感染症にかかり深夜に自宅から目黒区の三宿病院に救急搬送され、2ヶ月間、激痛で寝返りも打てない半地獄生活を味わいました。
そこから端を発し、途中経過省略させていただき、本日で通算149日目の病院での朝を迎えます。現在朝の8:45になりますが8:00に来るはずの朝食はまだ来る気配はありませんが、特に空腹もなく、それは大きな問題ではありません。
今回は三宿病院での3週間の内科的な治療が成果なく、杉並区の宗教病院にて外科治療に方針が変わりました。治療の内容は深く書けませんが、全身麻酔による手術です。

自分は38歳より医療に携わり、42歳より10年間、本格的に海外の病院で勤務した経験上、日本の治療方針や看護方針に少なからず、疑問を抱いておりました。大概の部分は個々の医療機関の人的問題というよりは医師会、厚労省における巨悪が根源ですので、国民の半数がそのあり方に立ち向かわないと、100年先にこの国が存在しているかどうかは別として、この医療制度は続くことでしょう。もちろん悪いことばかりではありませんが、根底に大きな利権が流れていることが問題です。

現場レベルで言えば、先の三宿病院ですが、私のFBをフォローしてくださる方々は、当時、と言っても半年前ですが、それは有り得ない酷さでした。再三再四、師長さんに直接、苦言を呈し、嫌われ患者になりましたし、私もこの病院には二度と世話にならないと決めました。

ところが今回の入院で、驚きました。私が苦情を呈したことすべてが改善されていました。例えばナースとしての資質がないオタンコ3名はすべてクビ、病室内でのナース同士の声を上げての笑い話は、ナースステーション内でも一切禁止に、提言した1〜10のすべてがすべて、この半年で夢のように改善されました。奇跡と言ってもよいでしょう。

急遽、転院が決まった先週金曜日のこと、私の苦情をずっと頷きながら聞いてくれた師長を補佐する主任ナースのMさんに侘びと礼を述べたく、その機をずっと伺っていたのですが、彼女は前夜の夜勤で私の退院する日は夜勤明け休暇。ところが荷物をまとめ、出院する私と、居ないはずの彼女と廊下ですれ違った。

「あれMさん?」「あれ?安藤さん?どうされましたか?」
Mさんはいつもマスク越し、フルフェイスを見たのはこの時が初めてで、しかも居るはずがないので一瞬、気付かず。彼女も私の突然の転院を知らされていないので荷物を運ぶ私に???。
「ずっと言いたかったことがある」と私は心の準備もなく、ウォーミングアップなくマウンドに送られた弱小チームのストッパー投手のごとく打たれてもともと気分で、半年前の非礼と、今回の改善の賛辞を述べた。すると彼女「まだまだぜんぜんですけど、これもすべて安藤さんのお陰なんですよ。お礼を言いたかったのはむしろ私の方なんです。でも、まだこんな程度で、変わったなんて自分から言い出せなくて。本当に助けていただいてありがとうどざいました」

「は?どういうことですか?」
「安藤さんのご指摘は、すべてがすべて、私自身がずっと感じていたことなんです。でも私のような立場から、それを上げることはできなかったんです。でも安藤さんのご意見を患者様からの声という形で上に上げることができました。安藤さんの声は、医療機関に従事する者としてすべて基本ですから、誰も反対する人はいなかったんです。ですから、本当に助かったんです」

M子さん、ホンマかいな〜、そら惚れてまうやろ・・・

「か、かわいいですね」
「え、なにがですか?」
「いえ、だってほら、いつもマスクしてるから」
「あ、私ですか?」(いや、貴女しかおらんし)
「あ、はい。とっても」
「そうですか、それはありがとうございます」

「また、何処かでお会いしたいですね」
実は、声に変換できず、寅さんパターンやん。
だけどね、元新聞記者の意地にかけてM子さんの出身地が若狭湾のとある小さな港町であることは取材済みやんか。既婚、年齢は夢の保存のため真空パックに入れたまま、解凍の日を待とうぞ。今は取材に至らずだ。

いつの日か寺尾聡が唄う「出航(SASURAI)」の歌詞のように、
♬おまえの匂いは 記憶の彩どりだけど
生きてゆく 道連れは夜明けの風さ〜 
そうさ 夜明けの風さ〜 ♬
なんてね。

いつの日か、この俺も、生命尽き果てるなら、あの雲にまかせて、遥か若狭の港町を彷徨い歩こうぞ。
冬なら二級の熱燗で、つまみは「自分、めざしください」と健さん風に野郎の浪漫。

あ、麻酔科の先生が来た。
この病院で二年間で4度目の手術。もう馴染みになってしまった。
「安藤さん、本当に局所麻酔でいいんですか?こちらとしては全身麻酔の方が安心なんですけど」
「そこをなんとか、お願いします」

締め切りの原稿2本、加えて翻訳の仕事もいただきました。
翻訳の仕事はFBで知り合った後輩の荒木さんに協力を依頼し、タッグでやります。
フリーの立場の原稿は締め切りとクオリティが生命。
今回の仕事は次へ繋げる仕事という心構えで書いてます。
全身麻酔だとリカバリーに時間がかかるため、怖いけど局所麻酔で突破します。

自宅に随分長い間、おそらく10年くらい熟成されていた「奇跡のトライ」を持ち込みました。
著者は慶応ラグビー部出身でリコーの監督も歴任された山下忠男さん。「鼻腔悪性黒色腫」という当時の治癒率が1%を切る難病で、「先生、治療が上手くいけば体調はいつ頃から回復できますか?」という山下さんの問いかけに担当医は「今日が一番いい日です」と答えた。つまり明日以降は悪化の一途だと。そんな状況で鼻腔内に癌が見つかる、しかも治癒困難、余命は明日かも知れないと告げられた。山下さん59歳まであと2ヶ月のとき。ラグビーの名門福岡高校から慶応大学。慶応では一年から四年まで全試合に出場、四年時にはキャプテン。
 たまたま初診の病院が私と同じ横浜たそがれ病院、少しだけご縁を感じ、著作から多大な勇気をいただく。つまり私の手術など、山下さんに比べたら。

 たった今、昨日、隣のベットに救急搬送されたボーイが足の手術で看護師とママに連れられて行きました。ボーイは早実の一年生ラグビー部FB。同級生に清宮幸太郎の弟福太郎が。サッカー部なら接触しないけどラグビー部と聞いてお友達に、早稲田だけど北島先生の本を貸す。ここにある本全部読んでいいよと許可も出す。ボーイに住まいを聞くと・・・ん?そこって環八渡れば八幡山じゃん・・・まっいいか。1984年から3年間、明治のSOは早実出身の佐藤聡で戦績は2勝1敗で早稲田に勝ち越しとる。ボーイ、北島先生の本読んで、八幡山に来たまえ。足を直してからな。

俺もいつか夜明けの風を連れて、若狭へ行くから。

おしまい。

本日もついてる 感謝してます。

 

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コメント

シンイチさん「今回もすてけいなお話ありあとうございます。手術終えたら、仕事頑張ってください」

小田さん「「フリーの立場の原稿は締め切りとクオリティが生命。」この一行も浮き上がって見えました」