少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4838 ミミズクのミミちゃん

2/26/19

FBFの皆さまおはようございます。
3日連続で訓練の仮出所でしたが、まだ無理みたいデス。

昨夜から、足が極度の筋肉痛、捻挫してないけど、足首は痛くて、車椅子リターンです。

痛くて原稿にも集中できずベットリターン。

ここのゴロンは快適すぎて一度横たわると、人をダメにする寝床です。

さて、ミミズクのミミちゃんですが、私の住んでる杉並区和田にも出没していたので、いつ窓辺に来てもいいように準備しておりました。肉食なので肉を用意してあげないといけませんが、ここは病院ですので地下に行けば、何体かはあるはずです。

チベットでは現在でも鳥葬をしているので、鳥に人肉を与えることは残酷ではありません。

鳥の一部となり、憧れの大空に舞うと言うのが儀式の根底です。

土葬して、ミミズやモグラの一部となるか、水葬でサカナくんになるか、あるいは火葬で大火傷を負うかは、あなたの家族次第です。

ところでミミちゃん、可愛そうな結末でした。

私はタイガーマスクの、あの衝撃的なクライマックスを即座に連想してしまいましたけど、みなさんはどうでしたか?

私は猫カフェにはいきませんが、テレ朝、玉川社員と同様でフクロウカフェには行きます。

フクロウは知的で獰猛です。おとなしいふりしてやる時はやる。

ラグビーでいうとフッカーみたいな存在です。

中学のころのスケッチブックには、何故かフクロウの絵ばかり描いてありました。

明大のキャラクターめいじろう も、フクロウです。

何故、私がフクロウばかり描いていたかというと、これでした。

ミネルバのふくろうは迫り来る黄昏に飛び立つ」
(die Eule der Minerva beginnt erst mit der einbrechenden Dämmerung ihren Flug)

これは哲学についてですが、哲学とは年齢を重ねるごとに見えるものが増えるようなものです。

ミネルバのフクロウとは、つまり哲学のことです。

哲学とは、時代が終わってから黄昏れ(夕暮れ)時にに飛び立ち、そこで哲学として形成する。

哲学者は未来のことは分からないから未来を論じることはない。

哲学とは今現在もしくは過去の人々の時代精神を、深く論理的に研究することにより、感情さえも、常に平常させることを、万人に伝える学問である。

と、こんな感じでゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルの「法の哲学」(1821年)にありますが、安藤が勝手に解釈してる内容を書きました。

つまりは宇宙量子学、諸行無常の世界であり、トルストイだって、ニーチェだって、ほぼほぼ当たり前のことを小難しく書いてるだけで、そんなに有り難いものだとは思えない。

ミネルバのフクロウは、物事に一喜一憂するのではなく、夕暮れまで真実を見極めてから飛ぶ、ということでしょう。

ローマ神話の女神ミネルウァミネルバ)が従えているフクロウであり、知性を意味します。

法曹界で用いるのは、真実をフクロウの目のように、あらゆる角度から追及して、見抜くということです。

そんなミミズクのミミちゃんや、伊達直人さんが交通事故死とはまさに諸行無常の哲学に帰依する所以。

本日もついてる 感謝してます。

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