少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

4849 組体操の賛否

2/27/16

組体操の賛否の投稿についてFBFの三宮千加子さんから以下のようなコメントを頂戴しました。

コメント欄に返信させていただいたところ、文字数圧倒的オーバーで反映されませんでしたので、こちらにコピペさせていただきました。火がついて長文です。でも、読んでいただきたい。誤字脱字、校閲していません、悪しからず。

三宮千加子さんからのコメント
「考え方には賛成なのですが、運動神経の悪い私にとっては、体育の授業や運動会は苦痛以外の何物でもなかったです😱
逆上がりも逆立ちも…
水泳部員でもないのに飛び込みの練習とか…今後の人生に必要ですか飛び込みって?
大人になってからプールで好きなように泳ぐようになってからようやく200㍍泳げるようになりました。
何年生までにコレができるようにならなきゃダメとか、無理矢理ではどんどん体育嫌いを助長するだけ…

そういう意味では、組み体操廃止も、当時の私だったらヤッター!と思うでしょう。」

以下アンサーです。

ムフフフ・・・三宮千加子さん、ナイスな質問ですね、ごっちゃんです。
千加子さんの質問は実に的を得ています。教育現場の永遠のテーマです。義務教育時代、現在の私が学校の先生なら、私も、千加子さんも、他多くの生徒も、もっと充実した学園生活を送ることができたでしょう・・・と、解答前に断言しておきましょう!
・・・体育の授業、運動会、嫌いな生徒、山ほどいますよね、確かに。水泳が苦手で、プールのない高校を探して受験した子も居ました。
その伝で言うなら、じゃあ数字が苦手で算数嫌い、漢字が嫌で国語嫌い、音符が読めなくて音楽嫌いな子はど〜なるのか?ということです。
人間ですから好き嫌い、得手不得手は当然あります。
しかし、義務教育の意義は、一定の学力と体力を身につける、子供達の権利なのです。
まず、子供の意識は、大人のそれと全く逆です。私の場合をふり返りましょう。
「勉強を教えてもらえる権利」ではなく「勉強しなければならない義務」という意識でした。千加子さんはどうでしょうか?前者と後者では、受動と能動、モチベーションがまったく違いますよね。しかし、ほとんどの子が後者ではないでしょうか?
ですから、まず、教育者とは、何のために、この授業を受ける意義があるのか、勉強する必要があるのか・・・というところが教育の根幹であり、私的に言えば、全てだと断言します。ですから、生徒に教える前に、全生徒とコンセンサスを取り、教師と生徒が、ひとつの授業を共同制作で作る、例えば映画作品と位置付けるのです。
そのためには、まず、目標設定が必要です。これはクラスというチーム全体の目標と、個人というクラスの人数分の目標が発生します。
私が教師だったら、水泳嫌いの千加子さんに、まず嫌いな理由を尋ねます。
「水が怖い」「体力がない」・・・
「な〜るほどネ。実は先生も千加子と同じで、小学生の時、水泳の時間が大キライだったよ。でもね、今は大好き。どうしてかって? それはね・・・」
義務教育において、水泳の授業をカリキュラムに入れるには、2つの大きな理由があります。
ひとつは、子供の体力の向上。学力も必要ですが、体力も必要ですよね。異議ないと思います。
もう一つは、島国日本特有の、水の事故から子供を守るための安全対策なのです。
そのために教育者がすること。

その1・まずプールにおいて、水の恐怖を脳幹に記憶させる。水は怖い、油断したら死に繋がる。これを徹底的に子供時代に細胞レベルに叩き込む。迂闊に海や川で泳いではいけない。大人になっつて、飲酒して泳いではいけない。人命救助で服を着たまま川に飛び込んではいけない。阪神が優勝してドブ川にダイブしてはいけない・・・などを叩き込みます。
これで、大概の生徒はビビリ、水泳の授業に恐怖を覚えるでしょう。当然です。なぜなら水泳の授業は、本来、命懸けであるはずですから。

その2・でもね、泳げるようになると、こんなに楽しいんだよ・・・。ムチの後は、徹底してアメを与えます。
オリンピックの競泳競技のビデオを見せます。選手の泳ぎより、熱狂する観客の風景の方が良いでしょう。水球も迫力があって魅力的です。シンクロ、飛び込み、女子にとっては宝塚的存在です。男子には海猿のビデオを見せてもいいでしょう、正義感に火がつくと思います。海やプールに必ずいるセーフガードの大学生のドキュメンタリーもいいですね。私ならプロのダイバーが潜水して美しい魚やサンゴを撮影する風景のビデオを見せます。プロサーファーのプロモもいいでしょう。FBでは犬や猫や豚までが泳ぐ映像が出ています。つまり、水の中がどんだけ魅力的な世界かをアピールして、早く水に飛び込みたいという意識に誘導、つまり洗脳するのです。

その3・ダメ押しで、プロのスイマーに講演させる。五輪メダリストを呼べ、というわけではありません。町のスイミングスクールのお兄さん、お姉さん、大学の水泳部、つまり卒業生で、水泳に携わっている人を講師として招き、彼らに一時間、授業をしてもらい、経験談、質疑応答をしてもらうのです。特に千加子さんのような苦手な子を狙い撃ちで洗脳します。で、水泳好きな卒業生には、時々、手伝いに来てもらいます。水嫌いの後輩にマンツーマン指導です。

さあ千加子さん、水が怖い、嫌いという、あなたの本能(細胞)は正常に働き、あなたを水という危険から遠ざけ、ご主人様を完全に守っています。ガードマンとして合格です、セコムに就職できますよ。
しかし、千加子さんは大学生になり、仲間に誘われて、湘南海岸や御宿に繰り出す時がやってきます。水着を選ぶところからキャッキャ海水浴、スイカ割り、花火、ナンパ、逆ナンと夢は広がります。カナヅチが海行って、オカ海水浴より、泳いだ方が楽しかろ。あっ失礼、湘南の黒い海じゃあ泳ぐ気になりませんね、せめて宮古島くらいにしましょう。ジョーズの来ない範囲で、熱帯魚と戯れませんか?
教育者なら、生徒にそこまでイメージを膨らませてあげましょう。
日本人の英語嫌いは、ある日突然、アルファベットが登場して、文法を間違えると、アホ教師が鬼クビで点数をつけたがるからです。

水泳が苦手な子 → 水の楽しさを洗脳させる → 目標設定(これは全ての学科、人生の日々に必要だと同時に洗脳する) → 5メートルをクリアしたら10メートル(恐怖を努力で乗り越えた先には達成感というご褒美があり、ドーパミンの増殖で快感という記憶が残り、また次の褒美を脳が要求する。これを言葉で子供に教える) → 目標を明文化、あるいは表にして、教室に貼り、公開公約にする。自分で決めた目標を達成したら、朝礼で、クラス全体で拍手で祝福する習慣をつける。誰でも他人に認められたい。子供は特に。昨日より1メートル長く泳げたら、すごい成長。自分を褒めていい。 → 目標を達成するため、どうしたらいいか、まず自分で考え、その意見を同級生、あるいは先輩コーチ、先生にぶつけ、調整する。このトレーニングは何の意味があるのか、疑問を持ち、納得したらやる。 → 子供にそこまでやるのか?と尋ねるバカな教師がいたら、そこまでやるのだ、と答える。これで日本から水の犠牲者が確実に減るということを教師自身が自覚する。

子供って本当に不思議です。
うちの仮面ライダー1号ちゃん(女子)の例。
スイミングスクールの無料体験入学で中野サンプラザのスイミングスクールに行ったのが小学生3年生。どう見ても溺れてるとしか思えない、手足バタバタ、沈んでは浮かぶ、アップアップ状態。思わず飛び込んで助けに行こうかと、正直思ったくらいの溺れよう。
こら、きっと大泣きして、アウトだと思いきや、楽しかったから続けたい・・・だと。その後、クラスを1日も休むことなく、母親とバスで通う。半年くらい経っても相変わらず、バタバタの溺れ泳ぎで、ほとんど前に進まず、同じ場所で水しぶきだけプールで一番。それでも本人、楽しいそうだ。実は、プール帰りに寄るミスドが目的だったかも知れないというウワサ。結局、5年生から自分でバスに乗り通い始め、4年間、休むことなく通い、家では床の上で、バタバタとクロールの練習をしていました。それで泳げるようになった距離がナンと25メートル。オリンピックはムリと思うけど、本人はご満悦、う〜ん微妙だけど、まっいいか〜。きっとコーチが褒め上手だったんでしょうね。いいことだと思います。

三宮千加子さん
まとめです。
何をするにせよ、何のためにか、その意義を教師と生徒が共有し、それに費やす貴重な時間を最高に有意義に使うための手段として目標を設定する。これはすぐに達成可能な小目標(例えば10日で5メートル)と一年単位の大目標。現在の自分の位置と、将来なりたい未来の自分。これを、子供に明確に意識させるのです。これこそが教育者の最大の仕事。これを伝えるには、数値で判断できる水泳こそ、格好の教材です。
泳げる子は泳げない子をバカにするでしょう。それこそが教育者の腕の見せ所です。

ウサギとカメの話でもいいです。努力のバロメーターをとことん、教えてやるのです。水泳が苦手な子は音楽が得意、算数ができる。水泳が得意な子は国語が苦手。誰にも得手不得手、好き嫌いがあり、それが当たり前であることを教え、その子の得意分野を潜在意識から引き出してやる、それが親と教育者の仕事ではなく使命である・・・と我々大人が常に意識する。

三宮千加子さん
残念でしたね〜、私があなたの先生だったら、貴女は今ごろ、水に咲く華、水中花。ニモのように水中を自由気ままに泳げたいやきくんだったでしょう。
(おしまい)