少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

5310 知子ちゃんの震災

1/17/20

「きざむ」
あれから25年、約9000日。同時刻、自分はまだ暗い、明大八幡山近くにいました。カーラジオで「関西で地震があり、数人の負傷者が出た模様」というアナウンスを聞きました。
6000名を超える犠牲者の中には、当時勤務していた日刊ゲンダイの大阪支社のご家族もいたり、大学の同級生や、ヤクルトの選手の実家が被害を受けたりと、身近な方々が被災され、なんともできない無力感に苛まれ、そんな思いをされた方々もたくさんおられてと思います。

25年という歳月は風化という自然現象には遠く及びません。しかし、戦後生まれには、戦争は伝聞でしかないのと同じように、25歳までの人々には映像の中での出来事に過ぎません。
もちろんかく言う私とて、現場に居合わせたわけではなく画面を通しての伝聞に過ぎませんが、それでも直接の知人が被災されたという事実は他人事とは違います。

FBFの豊嶋さんは、お会いしたことはありませんが、FB投稿をよく拝見しております。彼女の実体験の投稿を読むことが、「きざむ」に繋がることだと思います。

 

以下、豊嶋さん

 

阪神淡路大震災から何年目だったかな?
当時、知子は7才、息子は3才だったから27年目かな?
当時の事は忘れる事はないですね。
時々、当時の話をしたりしますね。
当時、本当に大変でした。
まだ子供が小さくて、母も仕事をしてたので、1週間程仕事はお休みしましたが、それ以上休めないので、まだまだ余震の恐怖に遭わせながら、知子は、小学校から帰宅したら一人で、帰りの遅い私を余震の恐怖に怯えながら待ってる状態を長く過ごさせました………
それでも知子は一度も私を困らせる様な事は一切言いませんでした。
息子は朝誰より早く預け、余震がある中、泣く息子を後ろ髪引かれる思いで預けて………
新幹線の橋桁が崩れ阪急電車線路を塞いでしまい、電車通勤出来なかったので自転車で片道1時間かけて通勤しました。
仕事は病院の看護補助だったので、出勤したら、水汲みと、患者さんの湯湯婆を作る事から初めて、いつもの業務もあるので、休む間もなく仕事する大変な状況でした。
仕事が終わるのも、皆が遅くなり、自分だけ帰る訳にもいかず仕事を終え、また自転車で帰宅したら、息子の迎えは7時半を過ぎました。
残ってるのは息子と看護士さんの子供さんの二人だけでした。
息子と似て大人しくて仲良く遊んでくれてました。
だから、私達親も仲良しになれました。
『また私達が最後だね、苦笑。』って。
息子は他のお子さんからシラミを移されて、坊主にせざるを得なくなりましたし、私も体調を崩しがちになりました。
点滴を打ちながら仕事に行きました。
皆が心身共に一杯一杯でした………
知子も息子も肺炎になり、次は急性喘息を患い、二人共に2度も入院させてしまいました………
私も点滴をしながらだったけど、肺炎になってしまい、無理したから悪化したみたいで、入院が長くなってしまいました………
子供達が心配で心配で……
ゆっくり入院出来ず、10日で退院させて貰いました。
その間に、職場も子供の事や自分の体調も考えて近所に紹介で変えて貰いました。
でも、そこの看護部長も不調も、私達の様な母子への理解や配慮等、全く無く、今で言うパワハラに遭い、紹介して下さった婦長さんに相談して、退職しました。
震災前、離婚時に生活保護の相談をした時には、役所の人に冷たい対応をされましたが、震災後に相談した時には、親切に対応して下さり助かりました。
子供にずっとついてあげたいけど、直ぐに仕事を見つけて、一部生活保護支援を受けながら、知子も幼いながら精一杯私を助けてくれたおかげで、親子三人大変ながらも何とか穏やかに過ごせる様になりました。
知子は息子の面倒や家事など本当に良くしてくれましたし、息子も、小学生になってからは、自分の事をしっかりしてくれる様になって居ました。
まさか6年間酷い虐めに遭ってたなんて全く気付いてやれず………
息子が問題がある様に先生から言われたのを鵜呑みにして息子に注意ばかりしてしまってました…………
私は仕事で精一杯で、子供達の気持ちを尊重してあげる事が全く出来て無かったと、今になり反省ばかりです………
子供達は私をずっと配慮してくれてたのに………
離婚してからの私には子供達が私の味方でサポーターだったと痛感しています。
震災前も震災後も二人のおかげで私は頑張って来れました。
そんな誰より大切な知子を企業、福祉や医療被害により喪い絶望を味わいました……
震災以上の大打撃でした………
そんな絶望の日々を今は息子と二人支え合い生きています。
母の事も大変ですが、母や弟にも支えて貰いながら、何とか知子亡き日々も生きれて居ます。
これからも、知子無き人生を息子や母や弟と支え合いながら乗り越えて生きます。
もう直ぐ、震災があった時間ですが、そんな私達家族だけでなく、もっと悲惨な目に遭った方々の日々を想いながら、私達家族の事を想いながら、夜勤勤務努めます。
長々読んで下さった方々ありがとうございます。