少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

5478 清原事件11

2/6/16

清原事件、私見11。
前回、清原の素行の愚の一例を書きましたが、一時が万事という言葉があり、清原ケースはその適用範囲内だと思います。
では誰が悪いのか?もちろん清原自身に違いないのですが、一夜にして、素行の悪い清原和博が出来上がったわけではありません。そこに行き着くまでの大人たちの指導責任があるのです。
岸和田の個人電気販売店、いわゆる町の電気屋さんを稼業にする家庭で生まれ育った清原ですから、特に問題のある家庭とは思えません。血の気の多い性格は、地元の「だんじり祭り」の土地柄的な影響力でしょうか、岸和田育ちの人がみんな血の気が多いというデータはありません。しかし、これは清原の性格に大きな影響を与えたと想像します。
そこで、人並外れた体格と、抜群の野球センスで、小学生時代から、中学生の球を難なく柵越えしていた清原は、紛れもなく天才であり、地元の番長になるのに時間はかかりませんでした。
この幼年期の日常生活は、大人になり大きな分岐点となります。清原級のスーパー小学生、中学生を、私は2人、知っています。王貞治と、松井秀喜です。

では、清原同様、天才野球少年の王さん、松井さんは、どうして不良番長にならなかったのか?
それは、指導者に恵まれたからです。
王さんは、試合でホームランを打ち、大喜びでベースを回ったところ、帰宅して、実兄の鉄城さん(医師、故人)から「お前は打たれた投手の気持ちを考えたことがあるのか?思いやりのない人間が野球などやる資格はない」と、こっぴどく説教され、その日以来、ホームランを打っても、黙々とベースを回るようにしました。美学です。
松井秀喜。甲子園での明徳義塾戦、衝撃の5打席連続敬遠。あの時の、高校生の松井の微動だにしない神対応は、野球ファンの方なら覚えているでしょう。その神対応の基礎は、松井の中学時代での練習試合。やはり、野球天狗だった松井が、相手投手から敬遠され、その投手を睨み返したところ、自軍の監督に呼ばれ、試合中にもかかわらず、正座させられて、こっぴどく説教されたことがきっかけでした。
「敬遠は立派な作戦のひとつ。お前の行動は、品なく相手投手を威嚇、侮辱するだけでなく、野球そのものをバカにする行為だ。それが理解できないなら、今すぐやめてしまえ」
その説教がなければ、甲子園5打席連続敬遠で松井はどんな対応をしていたでしょうか? たぶん、ふて腐れていたでしょう。しかし、あの対応は、明らかに松井秀喜の男を上げました。松井秀喜は本当に温厚で謙虚な人です。父親が宗教家であることも、松井の性格や善行に大きな影響を与えたと思います。

王さん、松井さんにあって、清原さんになかったもの。それは環境と出会いではないか、と私は思います。
出会いも、人間が生まれた瞬間から「星の下」という意味で占星学では決定付けられているそうです。
松井さんが優等生すぎた分だけ、西武の番長を何もアレンジせず、読売に持ち込んだ清原さんは、最初こそ歓迎されたものの、お荷物、厄介者になるのに、時間はかかりませんでした。教えてあげる人物がいなかったことが、清原の悲劇なのです。
(つづく)