少数派日記

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“安藤総理の少数派日記”

5789 奇跡の波動9

3/22/19

第一章 繋がった命の電波 その二

・走れ中国人メロス(1 )

 私の中学時代だったと記憶するが、夏休みの課題図書(宿題)で読んだ太宰治の代表作「走れメロス」。杉浦からの報告を受け、そのストーリーが甦った。
 今村夫人は、今村雄仁から、「今から中国へ行って(腎臓移植)手術を受けることになった」と言う突然の報を受けた。今村がそのような冗談を言う性格ではないことを夫人が誰よりもよく知っている。だから、それが事実であることを夫人は何の疑いもなく受け止めた。夫人本人が、「自分でも信じられないくらい冷静に対応できたのは、仰天する余裕すらなかったからです」と後日、そう振り返ったが、夫人も今村と同じくらい胆が据わっていた。
夫人は銀行に走ると同時に、今村の中国人の友人に電話を入れた。実名は記せないので、ここから先は、その中国人の友人をメロスと表記させていただきたい。
 今村と中国人メロスは十年来の家族ぐるみの親交があるそうだ。メロスは今村が中国で移植手術を受ける相談も受けており、通訳として同行する計画も立てていた。だがそれはあくまでもまだ先の予定であった。
 メロスは埼玉の自動車部品加工工場で働いていた。騒音の中での作業中だったが何故か夫人からの携帯の呼び出し音が聞こえた。
「えっ、きょう? 今からですか? ちょっと待って・・・、それは無理でしょ、どう考えたって。今、何時ですか・・・」
メロスが工場の油気で煤けた壁時計に目をやると、時刻はすでに二時を過ぎていた。
「いやいや無理ですってば。どうしてもって言われても間に合いませんよ。明日じゃダメなんですか? 確かに中国は、前払いでないと・・・。そうですけど・・・、いや時間的にどうかな? じゃあ、わかりましたよ。間に合うかどうか自信ないけどとりあえず走ってみます」
 夫人の必死の声にメロスは応えた。工場長に事情を話し早退許可を得て、まず自転車でパスポートを取りにアパートへ戻る。それから最寄り駅へひた走った。
 メロスからローマ字表記の氏名とパスポート番号を携帯で聞き出した杉浦が自らのクレジット決済でネットから航空券を予約して購入。あとは、メロスが資金を持って18:30までに成田の搭乗ゲートに辿り着けばなんとかなる。杉浦がすべてJAL側と交渉した。
 それに間に合う成田エクスプレスは東京駅16:29発成田空港第二旅客ターミナル17:55着、これしかない。しかも東京駅の成田エクスプレスのホームは,ただでさえ複雑な構内のさらに入り組んだ地下3階にあり、慣れ親しんだ人でないとかなり高い確率で迷子になる。夫人もメロスも、ともに訪れたことがない初めて落ち合う場所だった。
 夫人は小田原駅までタクシーを飛ばし、新幹線で東京駅に向かう予定だったが、小田原はこだま停車駅で発着本数が圧倒的に少ない。在来線の方が、早く東京駅に着くのかと駅員に尋ねる間にも刻々とタイムリミットは刻まれていく。ましてやかつて持ち歩いた経験のない大金を抱えての右往左往だ。「生きた心地がしなかった」と後日回想されていた。
 そして、メロスの方がほんの少しだけ先に東京駅の地下ホームに辿り着いた。杉浦のアルゴリズム通り、指定された階段に一番近い5号車の前方ドア前が二人の待ち合わせ場所だった。するとメロスが到着した直後に、ラストチャンスの16:29発成田空港行きエクスプレスがホームに滑るように進入してきた。寒い季節だというに、メロスは汗だくで肩で息をしながら、夫人の姿を探したが、その姿はどこにもなかった。
 ドアが開いた。降りる人とぶつかりながら、メロスはつま先を立て、少しでも遠くを見ようと視界を最大限に拡げた。すると、二つほど後方の車両の前に夫人の姿を見つけた。夫人は二股の階段の反対方向に降りてしまったようだ。メロスは大声で夫人を呼び、夫人もその声に気づき互いに走り寄る。発車のベルがやけに静かに流れ、メロスは閉まりかけるドアに半身を挟むようにしてドアの開閉を塞いだ。まるでリレーランナーがバトンを手渡し手渡されるかのように、現金約800万円の収められたバッグを託されるとお互いに言葉を交わす瞬間さえ与えられずにドアが閉まった。正真正銘の間一髪。ドラマでもここまで露骨でわざとらしい演出はないだろう。そして、命の手術代金を抱えたメロスは、日本航空0830便の搭乗者名簿に記載された。
 ギリシャ神話と「ウィルヘルム・テル」で知られるドイツの文豪・フリードリヒ・フォン・シラー(Friedich von Schiller )の古典戯曲から影響を受けたとする太宰治の「走れメロス」の後半は確かこんな感じだった。