少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

6114 千葉敦子とその生と

5/11/20

「7日間ブックカバー、読者文化の普及に貢献する為のチャレンジ」

 金沢靖さんからバトンを預かりました。勝手に11日目です。
 漫画を含めれば蔵書5000冊の読書家です。

戦記&ラグビー〜山岳-野球-文学-宇宙思想(哲学)-ナチスホロコースト-移植医療-戦時中の人体実験事件-昭和の私小説「愛と狂気」-「御巣鷹山日航機墜落事件」ときて本日は「ホスピス」がテーマです。
 
 26歳の時に千葉敦子さんの書籍「NY24時間」に出会いました。当時、勤務していた東京新聞のOGであったことも親近感を覚えましたが、偶然に入った四谷三丁目の安寿司屋で偶然隣り合せた立花隆氏と千葉さんの話題になったこと。6年間暮らした四谷内藤町の一軒家の隣人がたまたまニューズウイーク英語版の編集長宅で、そこでも千葉さんの話題で親しくなりました。
(余談ですが、例の山形の彼女のことも、ニューズウイーク編集長=米国人は知っていて、3度も取材に行ったそうです。どんな家だ、ということですが、ここでは割愛。築400年です)
で、千葉さんの書籍は全て読ませていただきました。次第に、スポーツ記者のままでいいのかな?という迷いが生じました。

当時の千葉さんは、自身の乳がんの闘病を、日本と米国の違いを克明にリポートされていました。
特に、治療法、セカンドオピニオンの有無、治療費、社会との繋がり、告知問題などなど。その中で、私の心が揺らいだのがホスピスです。
当時の日本にはホスピスと言えるホスピスは皆無で、古い病棟を緩和ケアという名目で、モルヒネ漬けにしているのが実態でした。

会社を辞めて、癌専門の雑誌を制作し、そこで資金を調達して本格的なホスピスを設立しよう、というのが、20代後半の私の生きる指針となりました。ツテもコネもなく、80ページほどの企画書をこしらえて、出版社を詣でる日々と門前払いの日常。細々と駄文を書いては食い繋いだものの、僅かばかりの貯蓄は一年で底を尽き、かねてから声をかけて下さった日刊ゲンダイさんに、拾われた形でした。

しかし55歳の時、再び光が見えたのです。出資者が見つかりそうだ、という朗報。そして、この企画書に賛同してくれた出版社。この出版社はコツコツと真面目に実績を上げ50年以上も継続された個人経営の出版社です。先代社長の頃からの付き合いで、二代目社長も、当時、入院中の私の見舞いに、何度も来てくれました。
癌専門雑誌は、サンプル版まででき、ようやく春が訪れたように見えました。が、実は出資詐欺でした。

みなさんもご用心ください。
手口を書こうと思いましたが、そうすると犯人が特定され、また攻撃の対象となるので控えますが、私はお金のほかに多くの信用を失うことになりました。
金額的には私個人は都内に中古の2Lなら買えるくらい。ただ、善意の友人を引き込み、その総額は一千数百万円で、僕が責任を負うのがその半分。法的には背負う必要はないそうですが、僕が絡んだ案件なので、そういうわけには行きません。

で、どうなったか。
結局、それだけが原因ではないのですが、出版社は倒産しました。
心痛の極みです。
出版社社長は70代。電話が鳴っても出ることができません。

金を儲けて遊んで暮らそう、という魂胆ではなく、長野県安曇野大自然の中に、自分がここで死にたい、と思えるようなホスピスを設立する目的の手段として、そして、それが癌で闘病される誰かの貴重な情報源になるのならば、という思いで、動きまわり、賛同いただいた出版社社長も一緒に動き、かなり散財させてしまいました。

厚労省の心なき癌治療の国家指針。製薬会社主導の薬漬け治療。天下り官僚の手先となる医師会。
この国も、どの国も、正義より利権が勝るのです。そして涼しい顔して悪事を働く輩も。

だけど、まだ生きているので、ゲームオーバーではありません。
ご迷惑をおかけした方々に返済しながら、次を見ます。
そんな勇気を千葉敦子さんの書籍は教えてくれます。亡くなる数日前まで、自身の状態を魂だけで綴られていました。
たったひとりの病室で。

ルール
①本についての説明はナシで表紙画像だけアップでよい(説明しても良い)
②その都度1人の友達を招待し、このチャレンジへの参加をお願いする(タグ付けするかどうかは自由。できれば事前に打診しましょう)
③以下のハッシュタグを付けて貰えると嬉しいです。

#7日間ブックカバーチャレンジj

少数派日記21

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