247 国鉄無情
奴と目が合ったのは、小雨がそぼ降る浜名湖サービスエリアの駐車場でのことだった。先週7月3日土曜日、新宿から安城の実家に向かう道中での出来事だった。
休憩時間はわずかに10分。降車地の国鉄岡崎駅までの所要時間はあと1時間、小雨に濡れてまでコーラZEROを買いに行く必要があるかどうか悩んだが、エコノミー症候群を回避する目的も兼ねていつもの国鉄ハイウエイバスから下車してみた。
そして奴と目が合った。気のせいだったかも知れないが、奴が舌打ちしたように感じた。「チェ」・・・と。
奴と僕の距離は長距離バスの一台分。僕が先頭部分で、奴は尻尾の方にいた。奴の刺すような眼光を僕の左目がとらえ、視覚から本能へと殺気が伝達されたのだ、「何かが起こる・・・」と。
バスを降りて、売店へ向かうはずの僕の足は、こちらを睨みつける奴の熱い視線によって止められ、僕が己自身の身体を反転させると、仁王立ちする奴とちょうど対比するカタチとなってしまった。
これがゾクに言う「ガン飛ばし」というヤツか。いや違う。奴のガンはケンカを売るために飛ばしたガンではない。眼は口ほどにモノを言う、とは良く言ったものだ。しばしの睨み合いの中、僕は奴の眼差しからその意味を読み取った。「休憩に行くなら早よう行って、早よう戻ってこい」と催促を促すメッセージを込めたガン付けだったように感じた。
そう、奴の頭のテッペンには「オレは天下の国鉄マンだ」と数多(あまた)ある民間鉄道関連職員を平伏させるに十分な、黄門さまの印籠ともいうべき、グレーの国鉄式軍隊帽が、高らかに、そしてやや斜に乗せられていたのである。
ハハーン、奴はこのバスの運転手か。奴の身なりを見れば誰でも一瞬で判断ができる。もちろんこの僕とて、それほど鈍感ではない。奴が運転手であることはすでに見抜いてはいたが、それと同時に奴の不穏な空気も感じていた。それは奴がふかしていた煙草のせいだったのかも知れない。まるで怪獣映画のゴジラのように、豪快に空いたふたつの鼻の穴からモクモクと、アルゼンチンのメッシのような華麗なステップワークで小雨というディフェンスをかわしながら、天に進む、奴の肺を確実に経由した煙草の煙。これもまた国鉄マンの誇りなのだろう、まるで、あの英雄デゴイチの今は亡き雄姿を彷彿させるようなすさまじい煙に包まれたバス運転手。霧雨と煙草の煙、そしてデゴイチを思い出して緩んだ僕の涙線の影響も多少はあったかも知れない。僕が奴のガン飛ばしから一瞬だけ眼を逸らし、奴の姿がほんの少しだげぼやけた刹那だった。奴はこの瞬間を待っていたのだ。ついに奴が行動に出た。
それは僕が奴の視線から目をそらし、再び、目的地の売店へ向かうために身体を反転させる作業と全く同じタイミングで行われた。奴の左手から2本のペットボトルが駐車場の植え込みへと投げ入れられたのである。
このタイミングで実行するとは実に恐ろしい敵である。つまり僕の右目は奴の犯行をまったく捕えていない。奴は僕の利き目が右で左目の方が若干視力が落ちていることまで計算の上で、2本のペットボトルを植え込みに投げ込んだのだろうか。でなければ説明がつかない。そしてあの豪快な煙草の吸いっぷり、煙の出しっぷりも、実は甲賀系の忍者が得意としていた煙幕術の現代版であったことも、犯行をカモフラージュするための小道具であったことが判明した。
僕は、奴の犯行を事前に阻止することができなかった敗北感に打ちのめされた。そして奴の高笑いを背中で感じていた。残り8分の休憩時間に僕はコーラZEROを買い求め、そして再び「三河号」という呪われたバスに重い足取りで戻らなければならない。コーラのペットボトルが売店の自販機から轟音とともに流れ落ちてくるのを拾いながら、奴の投げた2本のペットボトルがスローモーションで僕の脳裏にフラッシュバックする。
僕は考えた。もしかしたら、あの光景は錯覚か、もしくは僕の心の中に潜む悪魔がもたらした己の心を反映させた幻覚だったのかも知れない・・・と。コーラの自販機からバスに戻る約100秒間で僕はこんなことを考えた。
例えば名古屋鉄道がドラゴンズだとしたら相模鉄道がベイスターズ。タイガース(阪神電鉄)とライオンズ(西武鉄道)は鉄道名が球団名だからわかりやすい。となれば日本全国を隈なく走る日本国有鉄道(通称・国鉄)はさしずめジャイアンツであろう。我々のチビッコ時代、誰しもが小学校の入学式で市から支給されたYGマーク入りの黄色い野球帽を
かぶせられた。つまり、国鉄とは野球で言う巨人。上郷に住むトヨジに相模鉄道の駅をひとつ言ってみろと言っても答えられないのと同様に、ローカルと全国区の差は大きい。つまり国鉄マンとはエリートなのである。
そのエリートが自分の仕事場である駐車場というフィールドに2本のペットボトルを投げ込んだ。しかもオアシスの目的で設計士や植木職人に一部税金である大金を投じて作られた植え込みにだ。マリナーズのイチローが自分のフィールドであるライトの守備位置に釘や画鋲や撒き菱(忍者が追跡を避けるため道に撒く鉄製のトゲトゲ)を撒いたり、地雷を埋め込んだりするだろうか。たぶんしないと僕は思う。たったの8分では、僕の感情が整理されず、やはり幻か悪夢であって欲しいという願いだけが先走った。
しかし、僕の左眼にスローモーションで映ったあの2本のペットボトルはリアルにそのカラーまでもが記憶されていた。一本はグリーン系でお〜いお茶の濃い味系の深緑。そしてもう一本はポカリのノーマルタイプのライトブルーだった。バス1台分の距離があったので、ペットボトルの字の判読は不可能だったが、色については自信があった。
僕がバスに近づくと、奴はすでに運転席に座り、上の空を決め込んでいた。ああ人間の本能はどうして、二度ショックを浴びるような行為を自分の意思で行うのだろうか。僕は外れた宝くじをもう一度確認するよな
、あるいは不合格通知をもう一度見て落ち込むような、そんな愚かな行為と同じ思いで、植え込みを確認した。僕の左眼がとらえた2本のペットボトルは無情にも寸分の狂いもなく、お〜いお茶の濃い味とノーマルのポカリだった。
これでもう奴には言い訳はできない。奴が投げたのはペットボトルではなく、国鉄というプライドそのものだったのだ。
僕は安城北部小学校3年星組の山本先生に教えてもらった。「ドイツ人の子供はキャラメルを食べたら、その包み紙をキャラメルの箱の尻から入れるんだよ」と。僕はドイツの子供はたいしたもんだなと思った。
同じく4年2組の安達コロッケ先生には「自分の家や部屋ではやらないことを、学校や道端でやってはいけません。自分の家でゴミをゴミ箱じゃないところへ捨ててる人はいますか?」と。この若い新任の先生、モラルだけはしっかりしているな、と僕は思いました。
奴の不幸は幼少時代にそのような恩師との出会いがなかったことかも知れません。バスは何事もなかったように、たった5人の乗客を乗せ、出発。僕たちと捨てられた2本のペットボトルの距離は時間×時速の法則でどんどん離れて行きます。
浜名湖の次の三ケ日ICで、国鉄東日本の運転手から、今度は国鉄西日本の運転手へと、バスの運行が引き継がれます。エリート運転手の休憩所としては質素なプレハブ小屋と、そこにズラリと並ぶ7台もの自販機。当然、ペットボトルの捨て場もあるのに、奴はど〜して。僕の疑問は膨らむばかりです。わずか5人の乗客なのに業務連絡は10分超。「今日は植え込みに何本のペットボトルを投げ込んだか?」そんな項目、あるわけないか。