少数派日記

社会派エロブログ、少数派日記です。

“安藤総理の少数派日記”

265  広州にて3

飛行機の3人掛けシートに目いっぱい詰め込まれる時は必ず通路側をリクエストしますが、空いている時は必ず窓側を選びます。レトロカフェを一緒に作ったトヨジが新婚旅行で嫁さんと沖縄に行ったときに飛行機の窓際席の取り合いで喧嘩したという話を思い出し、ひとりで不気味に笑い出しました。
で、この日は空いていたので窓際席を予約。僕は子供のように、窓に額をつけて離陸する東京湾の光景を眺めていました。中国国際航空184便北京行きは定刻通り0830に離陸。雪のない青い冨士山を遠方になめながら、東京湾に浮かんだ海蛍を越え、川崎の重コンビナート群を越え、かつて僕らが草野球をした鶴見のグランドを越え、横浜ベイエリアを一望。マリンタワーベイブリッジ横浜スタジアムの赤茶色の人口土までもがくっきりと見え、絶景絶景。三浦半島の向こうに見える白い砂浜が湘南海岸でその向こうが伊豆半島。小田原の街も遠方に見えてきた。ここで機体は大きく右旋回し真左に青い冨士。サッカーに日産スタジアムが見えたので、あれが国鉄の新横浜駅で、あれがサザンの横浜アリーナ、そして第三京浜道路。さらに進むと東名高速の青葉ICだから、国道248号との合流地点。何度も何度も通った道だから上空からでもすぐにどこだかよくわかる。機はさらに北へ進む。多摩ニュータウンのはずれを越え、今度見えてきた高速道路の大きなICは中央道の八王子ICではないか。すると向こうに見える街は大月、それとも甲府・・・?
ここで、僕はあることをふと感じた、これってもしかして・・・。
そう、あの日航123便が、大阪へ向かう途中、横浜を越え、相模湾上空で機体に異変を起こし、墜落現場となる御巣鷹山へと飛行したルートです。角田氏(角田四朗=JAL123便墜落の真相=早稲田出版の著者)の推測によると、123便は米軍横田基地に不時着陸する予定も、それを許可されない事情が機体に確認されたため、人家のない山中に墜落するしか方法がなかったそうだ。
僕は必至になって米軍横田基地を探したが、立川の昭和記念公園は確認できたのだが、横田も立川基地も確認できなかった。
それにしてもどうしてこの便はこんなルートをたどるのだろう。成田からの広州便、上海便、北京便はすべて冨士山の上空を通過し、静岡、愛知を抜け、四国、九州を通過して行くのに、こんなルートは初めての経験だった。
八王子から先はもうどこがどこだかわからない。僕は、機内の雑誌を取り出し日本地図を探したが、あるわけがない、この機はJALでもANAでもないのだ。そう、僕が探したのは御巣鷹山だった。
あれが甲府だとすると、ここはもう前橋か?前橋は群馬だけど、藤岡村と前橋の位置関係がぜんぜんわからん。さあ、どえらいことになってきたぞ。僕はひとりで焦った。
結局、僕に御巣鷹山を見つけることは出来ず、青い冨士山は遠方に小さくなった。そして徹夜で荷づくりと仕事の準備をした僕は、窓に額を押しつけたまま、気を失ってしまった。
機体の揺れで目が覚めた時、眼下には海岸が見えた。僕の座席の位置からすると、この海がもし太平洋ならどこかでUターンして成田に向かってることになる。もし予定通り北京へ向かっているなら、まさか日本海か?
それにしても高度はいくつだろうか、かなり低い。海岸沿いに走る車が見える。ここは何処だ新潟か?富山か?石川か?僕は佐渡ケ島を探したが、もしあるとしても僕の座席からは見えないだろう。それほど海岸線沿いを飛んでいるのだ。日本海なら昨年、ひとり旅をした。糸魚川の地形なら頭に叩き込んである。それを見つければ位置関係がわかるのだが。僕は必死で国鉄日本海本線を探したが、なかなか見つからない。このあたりはトンネル群なのかも知れない。
それにしても間宮林蔵はえらいもんだ。飛行機なんてない時代に歩測で、よくもまああれほど正確な日本地図を描いたもんだ。凄すぎる。
そうこう思ううちに見えてきたのが、能登半島に間違いない。能登半島上空とはなんともわくわくする。ここはUFOとの絶好の交信地ではないか。僕だって中学2年の夏、安城の自宅の窓からUFOを目撃した。そのあとで、三島由紀夫の「美しい星」を読んだけど、あれは間違いなく本物のUFOだったと確信した。本当に。
ところで、ここでもうひとつ書いておかねばならないことがある。搭乗した時から気づいていたのだが、この機のCAがやたらと別嬪揃いなのである。モデル級といっていいだろう。これも中国の急成長を象徴する現象のひとつで、いつだったか、日本の番組で僕が乗っている中国国際航空のスチュアーデスの選考試験のドキュメンタリ―を放映していた。子供のころに見た紀比呂子演ずる美咲洋子の「アテンションプリーズ」の世界だよ、まるで。中国中から、容姿と頭脳に自信のある令嬢があつまり、身元確認から始まり、かなりの難関を突破する、現在の中国でダントツ1位の花形職業。いや〜、鼻血ものでした。
残念ながら日本のCAさんは、今や斜陽産業で、昔のように肩で風切って・・・なんてわけにはいきません。ある独立系民間航空会社のCAさんなど悲惨の極致で、静岡ー福岡(だったと思う)の往復フライトでコンビニ弁当を持参し、それを5分で食べ、すぐにまた復路の準備するなどという悲惨物語をドキュメントで放映されていました。しかし、僕はそれが本来の姿で、今までが日本航空の独占事業として、あまりにも優遇されていたため、今回の破滅に至った一因であるとも思うわけです。
ついでに書きますが、アメリカ系航空会社のCAは凄いですよ。僕が見たのはアブドラ・ザ・ブッチャ―似のCAとか、小錦よりデカイだろうと思われるCA、おいおいそんなところで客の余った機内食を立ち食いするなよといったCA、ラグビーで言えば日本代表級の最前列のプロップばかり15人も集めたような巨漢軍団。90キロ超の僕なんか子供くらいにしか見えません。
あるフライトで僕は普通の日本人のCAさんに尋ねました。
「どうみても彼女らは重量オーバーではないか?どうして、あなたのような普通のCAを起用しないのか?」
「当社は組合が強くて年功序列なんです。居心地が悪くないので辞める人がいなくて・・・」
「それにしてもアメリカは極端な肥満は採用されないと聞いていますが?」
「みなさん、入社された時はスレンダーだったんです」
アメリカ、恐るべし・・・。
くっそ〜まだ北京にも着かないぜ。
(こんなことを思って搭乗していたら、ペンネーム「123」より、書き込みが来ました。№263のコメントをご覧ください。シンクロでしょうか)